GLN 宗教を読む

聖書の起源

◆シナイ顕現伝承と仮庵の祭り
 伝承史学派のゲルハルト・フォン・ラートは、このシナイ顕現伝承を、 実は収穫祭「仮庵(かりいお)」の祭りで朗読された祭儀文であったとみる。 この「仮庵」の祭りとは、「過越(ペサハ)祭りと並ぶイスラエルの祝祭であるが、 本来は古代オリエントのカナン地方の農民に伝わる収穫祭であった。
 
 イスラエルの民がカナンに定住した後、 カナン地域の土着信仰をヤハウェ宗教化していく過程の中で、 こうした収穫祭に新しい歴史的意義が加えられ、 さらにエジプト脱出時のシナイ荒野の彷徨と、天幕生活の記憶が織りこまれ、 イスラエル的「仮庵」の祭りとなったのだと、ラートはいう。 シナイ顕現伝承は、こうした祭りの祭儀文そのものであり、祭りは正確にそのとおりに執行された。
 
 儀式は、まず共同体の潔めからはじまる。 そして高々と鳴りわたる神迎えのラッパによって、幕が切っておとされる。 はじめに神のおごそかな顕現と自己啓示がくる。 祭儀は、イスラエルにたいする律法の授与で頂点に達し、イスラエルの民の誓いの言葉で幕となる。 祭りはそのまま、契約締結の儀式であった。 この間、民は厚い雲につつまれたシナイ山にとどろく、かみなりといなずまをみただけであった。 契約締結は、きわめて一方的な神の側の行為に終始している。
 これについて学者は、神ヤハウェ自身が、煙と炎の間を通過したというこの擬人法的行為の中に、 ヤハウェの立てた契約が、ヤハウェ自身において、 絶対に破ることのできない確かなものであることを示す象徴的行為をみることができるという。 民はただひたすら、聞くことを要求されている。 「わたしはヤハウェ、あなたの神」。神はこう宣言する。 ここでは神との契約が主題なのだ。 いったいなぜに、神との「契約」が、イスラエルにとって、重大な第一の関心事となったのか。

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