◆寄留者の墓 次に、創世記二三章に記されている妻サライの死にまつわるエピソードを紹介しよう。 生涯を寄留者として生きるよう余儀なくされたアブラハムの胸中の悲願が、 これほど美しく、そして悲しく語られた話は他にない。 サライが、寄留先のカナンの地へブロンの村で死んだとき、 アブラハムは、天幕に入って悲しみのために泣いた。 彼は、大地にひれ伏し、胸をかきむしって、悲しみの心をあらわにした。 やがて死人のそばから立ちあがると、アブラハムは、まわりにあつまった異邦の人々にむかって、 こう言うのである。 「わたしはあなたがたのうちの旅の者で寄留者ですが、わたしの死人を葬るため、 あなたがたのうちにわたしの所有として一つの墓地を下さい」(創世記)。 アブラハムは、妻の遺体を自分の所有する土地に葬りたいとねがったのである。 「わたしの所有」とは、アブラハムに所有権のある土地を意味している。 しかし村人たちは、それにはかまわずこう答える。 「わが主よ、お聞きなさい。あなたはわれわれのうちにおられて、神のような主君です。 われわれの墓地の最も良い所にあなたの死人を葬りなさい。 その墓地を拒んで、あなたにその死人を葬らせない者は、 われわれのうちには、ひとりもないでしょう」 この村人のこたえは、十分好意的である。 彼らは、寄留者アブラハムに、彼らの好意の極限をつくしている。 それを疑うことはできない。アブラハムは、彼らのすすめにしたがって、 彼らの墓のあいだに、妻の遺骸を埋葬すればよかった。それで十分であった。 しかしアブラハムは、満足しない。 彼は執拗に、最初の要求を繰り返す。彼は、こういう。 「もしわたしの死人を葬るのに同意されるなら、わたしの願いをいれて、 わたしのためにゾハルの子エフロンに頼み、 彼が持っている畑の端のマクペラのほら穴をじゅうぶんな代価でわたしにあたえ、 あなたがたのうちに墓地を持たせてください」 アブラハムの申し出は、もはや誰の耳にも疑問の余地がない。 代価を払うから、土地を売ってほしいとたのんでいるのである。 それは畑地としては価値のない、ほら穴であったが、畑であることに変りはない。 彼は畑を入手したかった。 * やっと入手したエフロンの畑 すると、周囲の人々に、その持ち主のエフロンという人がいて、人々の前で、 こう答えて言った。 「いいえ、わが主よ、お聞きなさい。わたしはあの畑をあなたにさしあげます。 またその中にあるほら穴もさしあげます……」 アブラハムは、彼が指定した畑の使用権を、人々の前で認められたということになる。 しかし、それでもまだ彼は満足しない。 アブラハムは、どうしても代価を払って買いとりたいのである。 物語は、アブラハムが執拗に喰いさがって、ついに銀四百シケルを、 持ち主の手ににぎらせたことを伝えて終わっている。 アブラハムは、エフロンの畑を取得した。使用権ではなく、所有権を入手したのである。 その土地は、村人たちの前で、正式にアブラハムの所有として認められた、と創世記はしるしている。 アブラハムは、妻のサライを畑のほら穴に葬る。それは生涯を寄留者として生きた、 ひとりの女の墓であった。しかしそれは、異邦の民のあいだにあって、 一片の土地も持つことのなかったアブラハムが、生涯かけてついに取得することのできた、 ただひとつの土地であった。 エピソードには、アブラハムの胸中にあるひとつの確かなのぞみがにじみでている。 そののぞみを、妻サライの葬りの日に、アブラハムは成就することができた。 エフロンの畑には、神の約束の土地にたいするアブラハムの悲願が、こめられていたのである。 後日譚になるが、アブラハムが死んだとき、その子イサクは、 この同じ畑に父の遺体を埋葬する(創世記)。 寄留者アブラハムの生涯の、そこが終わりの地となった。 〔構図の項参照〕 |
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