GLN 宗教を読む

宗教を読む / 導入

◆末法思想 − 最後の審判
 末法(まっぽう)思想とは、
「〔仏〕 釈迦入滅後、五百年間は正しい仏法の行われる正法(しようぼう)の時代が続くが、 次いで正しい修行が行われないため、悟りを開く者のない像法(ぞうぼう)の時代が一千年あり、 さらに教えのみが残る末法の時代一万年を経て、教えも消滅した法滅の時代に至るとする考え。 各時期の長さには諸説ある。「末法灯明記」などにより、 日本では1052年を末法元年とする説が多く信じられた。 平安末期から鎌倉時代にかけて広く浸透し、厭世(えんせい)観や危機感をかきたて、 浄土教の興隆や鎌倉新仏教の成立にも大きな影響を与えた。」
 最後の審判とは
「キリスト教で、世界の終末にイエス-キリストが再臨して人類を裁くという教義。 ヨハネの黙示録などに示され、しばしば宗教画の題材とされる。 特にバチカンのシスチナ礼拝堂のミケランジェロが描いた壁画が有名。公審判。世界審判。 」 (以上、goo 辞書)

 神道では、死後は(一般的には)黄泉の国に行くとされています。
 黄泉(よみ)とは、 「死後、霊魂が行くとされる所。死者の国。冥府。冥土。よみの国。よみじ。よもつ国。」(goo 辞書)です。
 黄泉の国は、遥か海上、又は海底、或いは地下などが語られています。
 黄泉の国の死者は、親類縁者の祖霊崇拝によって、 何年か後には浄められて神(祖神・氏神)となり、 近くにある思い出(ふるさと)の山の山中(山腹)辺りに迎えられます。 祖神は、子孫後進の者たちの希求に応じて、山中において、 あるいは近くまで降りられて恩頼(みたまのふゆ、加護)を授けます。
 即ち、神道では、この世は、いわゆる天壌無窮であると信じています。

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