GLN 宗教を読む

宗教を読む / 導入

◆二元論
 二元論(にげんろん)とは、 「〔哲〕〔dualism〕物事を相対立する二つの原理または要素に基づいてとらえる立場。 神話や宇宙論における光と闇、陰と陽、哲学における形相と質料、現象と本体、 宗教や道徳における善と悪、など多くの思想領 域に見いだされる。西洋近代では、精神と物体を二実体ととらえるデカルトの物心二元論 ないしは心身二元論が近代哲学を特徴づける枠組みを与えている。」(goo 辞書)です。
 
 私共の先輩である先人賢人たちの構築したそれぞれの(例えば二元論などの)個別の定説は、 とても優れていて非の打ちどころはありません。
 
 世界宗教では、この二元論に基づいて思想を構築しています。
 善悪、正邪、是非、生死、敵味方(同士対非同士)など、相反する語を組み合わせることで、 教義教典を説明しやすくしているのです。 正常な物対異常な物の対比、 つまり、正側を最大限に評価し、悪側を極限まで懲罰することになります。
 
 しかし、二元論では説明できないものとして、多元論が主張されました。
 多元論(たげんろん)とは、 「(1)世界が唯一の原理から成り立つと考える一元論に対して、相互に独立な二つ以上の根本的な原理や要素 によって世界をとらえる立場。 (2)ある対象領域を説明する複数の異なる理論が共存することを認める考え方。」(goo 辞書)です。
 例えば、思想宗教などの分野において三元論のことを考えるとき、 それは最適な手法(哲学)となります。
 〔ジェンダー・フリーと補うことのページ参照〕
 
 上下の間には中位、左右の間には中央、 表裏の間には本体、明暗の間には灯火、昼夜の間には朝が存在します。 また、これら相対することを、正悪二元論の基準で仕分けすることは出来ません。 相対する”もの”は、任意又は必要により相互に入れ替わるからです。
 
 前記文中、中位中央本体灯火は、 自分自身のことである、と理解すると分かりやすいと思います。
 では、善悪の場合の自分は、 悪の世界へ紛れ込んでしまう危険があるのではないでしょうか。
 それは、あり得ます。 何故なら、例えば聖書の山上の垂訓にしろ、 仏典の方便にしろ、その文言自体が真理でるとしても、 (所詮、人の記録したもの故)長い歴史の中で改変修正されてきた結果、 前後の記述文との間に、 矛盾点や不整合なところが生じてきました。 そのこと故に、現実に、 原教祖の教義経典から、いろいろな宗派や異教徒が派生してきました。 当然の成り行きであると思います。
 では、が本意なのか、不本意なのかの判断は……。

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