GLN 宗教を読む

宗教を読む / 導入

◆如是我聞
 如是我聞(にょぜがもん)とは、 「〔仏〕〔「このように私は聞いた」の意〕経文の最初に置かれる言葉。 釈迦の教えを信じ、それをかたく保つ意味を含む。 仏の教えであることを示すため、釈迦が弟子の阿難に経典の冒頭に冠させたという。」 (goo 辞書)です。
 
* 阿難(あなん、アーナンダ、阿難陀)
 「彼の出身は経典によって諸説あり一致しないが、一般的には釈迦の従弟で、 様々な経典に釈迦とその教団に違背した悪人として描かれている提婆達多の弟と言われる。 彼は、釈迦が成道した夜に生まれたといわれる。
 大智度論によると、彼の父である斛飯王(こくぼんのう、ドロノダーナ)が、釈迦の実父である浄飯王(じょうぼんのう、スッドダーナ)のもとに使者を送り、阿難の誕生を知らせた時、浄飯王は非常に喜んだので「アーナンダ(歓喜)」と名づけられたといい、また国民は皆、王子の誕生を喜び、それによって名づけられたともいわれる。彼も阿那律などの諸王子と共に釈迦仏の元に赴き仏弟子となった。時に釈迦が55歳、阿難が25歳といわれる(もしくは8歳で沙彌=年少の修行者となったという説もある)。
 出家後、釈迦が死ぬまで25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていた。そのため教説を最もよく記憶していたので、第1回の経典結集の時には彼の記憶に基づいて釈迦の教えを口述し、経典が編纂されたという。」(Wikipedia)。
 
 法華経「序品」は、「かくの如く、我れ、聞けり(如是我聞)」で始まります。 法華経に限らず、総ての経文の冒頭には、この言葉が記されています。
 
* 法華経の成立
 「法華経の成立は、釈尊滅後からほぼ500年以上のちのこととされ、 現在の仏教学では主にBC50年からBC150年の間に成立したと推定されている。 したがって法華経の教えは、他の大乗経典と同様、歴史上のゴータマ・シッダールタ(釈迦) が直接的に説いた教えではないが、 経典には(上記のように)「外道の論議を説くと謂わん」と、 末世には法華経が信じがたく、外道(非仏説)であると誹謗するものが多くなると説かれる。 また、この経典は編纂した教団の置かれていた社会的状況を示唆しているという説もある。」 (Wikipedia)。
 
* 結集
 結集(けつじゅう)とは、 「〔仏〕 釈迦の死後、その教義を正しく伝えるため、主な弟子たちが集まって、 正統的な教法を整理し経典を編纂したこと。釈迦入滅の直後より、数次にわたって行われた。けちじゅう。」(goo 辞書)です。
 法華経も、何回目かでの結集を経て、経文として認められたものと思います。
 
* 教祖とは一体何者なのであろうか
 教祖とは、「ある宗教・宗派の創始者。開祖。宗祖。」(goo 辞書)のことです。
 人々は絶対に、当該教祖(の全ての事柄)を超越することは出来ません。
 しかし仏典においては、後進の者は、即ち「如是我聞」と明記することで、 自己の脳裡に蓄えられている知識を最大限に編集発揮し、原教祖の思想を拡大解釈し、 新たな教義教典を創り上げていきました。 このことについて、原教祖はどのように考えておられるのでしょうか。
 
 人々は、教祖〜教義教典は絶対のものとして信じています。 時代の変遷に呼応するなどして、世上の価値観が変化修正した場合、 教団の側近者たちは、「結集」の名の下に、 原教祖の思想を軌道修正してきたものと認められます。 大乗仏教の経典なども、このような考え方で出来上がりました。
 
 キリスト教においても、福音書記者(福音書の成文化に関わりあった人々のこと)によって、 聖書が書上げられました。
 〔<聖書関係>のページ参照〕
 
 神道については、〔方便の項参照〕。

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