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15 八幡平地区の先祓舞

第二節 谷内天照皇御祖神社先祓舞

一 芸能の由来
(1) 由来
 谷内天照皇御祖神社先祓舞は、宝暦の頃(一七五〇年代)兄川稲荷神社
(岩手県八幡平市)から伝えられたといわれ、別に兄川舞ともいう。
 明治二十年頃から何故か中断し、古老達が酒席で昔を偲ぶ程度であった
が、昭和二十二年再び兄川の舞人、太鼓、笛などの指導者を招き、復活し
て今日に至っている。
 この導入の頃から、氏子、青年(団)会、部落会によって保存、伝承が
図られてきたが、
同五十三年皇太子殿下御夫妻御来県に際し台覧の栄に浴し、それを機会に
保存会が結成されたものである。 
 ところで、鹿角地域の無形民俗文化財を調査してゆく段階で、明治から
大正・昭和の前半にかけて、大方のこの種文化財(芸能)が途絶えたり、
休止したり、或いは消滅したりしている。
 この理由は、次のような明治初期の時代背景(政治的事情)によるもの
と考えられよう。
 すなわち、
@明治元年(一八六八)、神仏分離令が発せられ、神仏習合の信仰は禁止
された。
A同五年(一八七二)、修験道廃止令が発布され、修験道行事は禁止され
た。
Bその後、同十九年(一八八六)修験道側からの嘆願により、例えば金峯
山寺(奈良県)では、「天台宗修験派」として修験道の再興が許され、金
峯山寺は寺院として存続できることになった。
 したがって、これらのことから類推すると、神仏習合に由来する各種民
俗芸能はこの間、途絶えていた(あるいはは表の世界からは消えていた)
ことになる。
 明治二十年代になって、改めて復活のきざしが生まれてきたが、そのま
ま途絶えた民俗芸能もあったのではないか、ということである。
 更にここで指摘したいのは、中央政府から遠隔地にある鹿角など東北地
方は、修験道禁止が定着して来るには、若干時間差があったのではないか
とも考えられるからである。

(2) 天照皇御祖神社
 谷内天照皇御祖神社は、鎮座地は鹿角市八幡平字谷内十四、ご祭神は大
日霊貴神・素盞鳴命・保食命・大鞆和気命、例祭日は八月十六日(戦前は
七月十六日)、特殊神事として神輿渡御・先祓舞がある。
 社記によれば谷内観音堂と呼ばれ、明治初年廃仏毀釈の令によって天照
皇御祖神社と社名が変更された。以来神明社と尊称されて現在に及んでい
る。
 永禄十年(一五六七)の兵火によって消失したが、これを機会に天正二
年(一五七四)社地を約一五〇米下方の現在地に移転し、万治二年(一六
五九)に再建、続いて天明五年(一七八五)に再建(現在拝殿、幣殿)し
現在の社殿になっている。
 明治六年(一八七三)村社指定社となり、同四十三年無格社八幡神社・
駒形神社・出羽神社・滝沢神社・八坂神社、同四十五年熊野神社を合併し
た。
 境内には、秋田県指定史跡である石造物の磨崖仏と板碑等があり、その
年号により七〇〇年を経ているものと推定される。

二 芸能の記録
(1)宵宮
 八月十五日は、天照皇御祖神社祭典の宵宮の日である。午後六時半、所
要の練習を積み重ねた舞手たちは天照皇御祖神社の境内に集合した。
 午後七時、晴澤久宮司、晴澤則比古禰宜ら神社関係者による宵宮の祭式
が始まると、
舞手たちは社殿前に整列する。やがて、舞手の代表(青年会)に合わせて
拝礼した。
 続いて境内では、舞手たちによる一連の先祓舞が奉納される。つまり、
社殿では祭式が、境内では先祓舞が同時進行の形で行われるのである。太
鼓を先頭にして、境内を右回りに輪を描くように舞い廻る。笛吹きや手平
鉦たたきは、輪の外に立つ。
 先祓舞の演目の節目に、花代(主に金銭)を披露する口上があった。役
目を担う青年会員が、先祓舞の輪の中に割り入って高らかに口上する。 
 祭式が終わり、ご神体が神輿に遷されて神輿渡御の行列(巡幸とも。以
下単に「渡御(とぎょ)」という。)が整列すると、渡御開始の触れ大太
鼓が打ち鳴らされた。この触れ大太鼓は、渡御の道順の要所要所で打ち鳴
らされる。
 太鼓打ちを先頭に舞手たちは、行列を先導して舞い進み、渡御はしずし
ずと移動してゆく。
 行列の順序は、おおむね次のとおりである。
@太鼓を先頭に舞手たち
A神旗などを持った女子の児童生徒
B祓串を捧持した禰宜(ねぎ)
C賽銭箱
D神籬、すなわち神の依代(よりしろ)とされる三段枝の若松
E御神体が奉安されている神輿
F宮司
G神社の氏子総代などの役員や祭典関係者
H大太鼓、すなわち巡幸の触れ大太鼓

 渡御中の先祓舞の演目は一番であるが、集落の要所や、花代が上げられ
た家屋敷の前では、一連の先祓舞が舞われる。
 演目の節目に、花代を披露する口上があった。
 渡御が八坂神社に到着すると、ご神体を同社の神座に奉安し、祭式が始
まった。舞手たちは、社殿前に整列し、舞手代表に合わせて拝礼した。
 続いて、祭式中に一連の舞を奉納する。
 祭式が終わると直会となり、舞人たちは帰宅の途についた。明日もきっ
と暑いだろう……。

(2)例大祭
 八月十六日は、天照皇御祖神社祭典の例大祭の日である。午前九時、舞
手たちは八坂神社の境内に集合した。
 舞手は小学生からと決められており、幼児は参加できないのであるが、
大張り切りでいる幼稚園児もいる。
 例大祭の祭式が始まると、舞手たちは社殿前に整列した。舞手の代表
(青年会)に合わせて拝礼した。
 続いて、一連の舞を奉納する。
 演目の節目に、花代を披露する口上があった。
 祭式が終わり、ご神体が神輿に遷されて渡御の行列が整列すると、渡御
開始の触れ大太鼓が打ち鳴らされた。
 太鼓打ちを先頭に舞手たちは、行列を先導して舞い進み、渡御はしずし
ずと移動してゆく。
 渡御の途中、集落の主な所や、花代が上げられた家屋敷前などでは、一
連の先祓舞を舞う。
 神輿に向って祈りながら見守る沿道の参拝人、また花代を上げた家の人
たちに対して、
禰宜はいとも丁寧にお祓いをしてゆく。
 やがて、谷内地区センターに到着すると昼食となる。同センターでは、
集落の婦人たちが丹精こめた昼食やトン汁、またビールなどのお酒も準備
され、巡幸に参加された方々全員に供応された。
 午後一時、センターの広場では、鋭気を取り戻した舞手たちが、一連の
先祓舞を舞う。
 やがて、渡御の行列が整列すると、渡御開始の触れ大太鼓が打ち鳴らさ
れた。
 次の地点では、一連の舞に続いて、杵取舞も舞われた。
 杵取り舞では、舞手は足の甲で杵を持ち上げようとして、再三再四、幾
度となくすり足をして挑むのである。
 そして、最後に杵の中ほどに足を潜らせて、えいっ。周囲から、歓声が
湧き上がった。
成功した舞手は、意気揚々と舞い納めるのであった。続いて、別の舞手に
よる杵取舞が舞われた。
 ほかの舞手たちは円座し、扇子を出してあおぎ、杵取舞の舞手に対して
景気づけをする。
 渡御は、集落の南端辺りの庚申塚から引き返して、本社天照皇御祖神社
へと向う。
 渡御が天照皇御祖神社に到着すると、ご神体を神座に奉安して、祭式が
行われる。祭式が始まると、舞手たちは拝殿前に整列し、舞手の代表(青
年会)に合わせて、拝礼する。
 続いて、一連の舞を奉納した。
 演目の節目に、花代を披露する口上があった。
 そして、納めの杵取舞も舞われた。
 炎天下での暑くてきびしく、過酷ともいえる先祓舞の奉納は目出度く終
了し、舞手たちは保護者に付き添って帰宅した。

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