三、伝承活動の状況 (一)、活動の歴史 1、大正時代以前 本神楽舞に関して、前掲の『秋田の獅子頭』(秋田県教育委員会)には、 次のように記述されている(五三ページの項)。 松館権現舞は、大正の頃まで初午の日から二、三日程の日程で近郷近在 に門舞歩いた。ヤドコ(屋根の葺替え)や年祝、婚礼のあった家を廻り、 各家では米、お神酒を準備していた。 このことを裏付けるものとして、同委員宅に伝わる『明治四年十二月、 朝暮御祈祷人数覚帳』には、次のようなことが記載されている(抜粋)。 御祈願云々、尾去沢鉱山繁栄、真金山繁栄、松館村黒沢長内村、※山白 欠桃枝大里小豆沢玉内湯瀬長嶺川辺村、当村の疫病退散火難水難消滅家内 安全云々 同じく『明治十一年年中行事』には、次のようなことが記されている (抜粋)。 毎朝御祈願云々、菅原神社氏子松谷村七拾五戸、八幡神社氏子尾去村九 十戸、三ツ矢沢村三十一戸、戸数百九十六戸、右村々惣氏子家内安全延命、 尾去沢鉱山繁栄云々 また、同委員先祖櫻田賢治が花輪警察署宛に、概略次のような「祈祷御 届」を提出している。 「一菅原神社、右は明治二十五年三月二十五日より当村菅原神社に於て当 時流行病のため家内安全として祈祷の上、当鹿角郡村々二十五日より十日 間、金太鼓笛にて獅子舞を仕え度お届け申し上げます。」 以上の記述などに拠ると、その頃は鹿角市の南に位置する大字尾去沢、 同八幡平はもちろん、当時の鹿角郡内一円において、松館の権現舞は巡回 して舞われていたことになる。 また同様に昔は、同じ米代川流域にあって経済圏を同じくし、松館の上 流に位置する隣県の岩手県二戸郡一帯へも、出向いて行ったとも伝えられ る。 |