平成13年3月秋田県教育委員会編集発行、秋田県文化財調査報告書第325集 秋田県指定無形民俗文化財「松館天満宮三台山獅子大権現舞」 目次 序 例言 文化財収録作成調査委員会名簿 目次 第一章 調査概要 第二章 芸能の伝承地の風土 第三章 芸能の記録 第一節 由来・縁起 第二節 祭りの次第と芸能のかかわり 第三節 芸能の構成・芸態 第四節 秋田の権現舞・番楽など 第四章 芸能の保存伝承 第一節 保存伝承組織 第二節 伝承法 第五章 文献資料 ……… 第三章 芸能の記録 第一節 芸能の由来・縁起 一、由来 本調査の対象である「松館天満宮三台山獅子大権現舞」(以下本稿では 「神楽舞」という。)の由来を記したものとして『天神宮縁記写』(文献 資料参照)がある。この資料は、神楽舞の宿元でもある、櫻田委員宅の先 祖で、寶光院と名乗る別当が、寛保年代(一七四一〜四四)に書いたとさ れる『天神宮縁記』を転写したものという。 この『天神宮縁記写』を要約したものが、次の文である。 松館天神宮の起源は甚だ古く、年代は不詳である。その頃松館には、文 武に秀でた松館精左衛門精長という館主がいた。 時代は、第二十六代継体天皇の御代とも、第七十二代白河天皇の御代と もいう。 館主精長卿は、無実の罪により甚だ悩んでいた。時は治安二年(一〇二 二)とも、正安二年(一三〇〇)ともいい、五月二十五日の夜半に、天満 大自在綱乗天神が夢の中で次のように託宣された。「この度のお前の災難 は逃れようがないが、日頃私を敬しているためここへ来た。お前の罪を消 滅してやるので、安心するがよい。ついてはこの館の住み心地が良いので、 ここに永住する。そしてまた、近くの里人の罪や穢れも消し、諸々の災害 も退け、家内の長久を守護し、特に無実の罪は必ず救ってやろう」と仰っ て神棚へ入られた。 夢から覚めた精長卿は、あまりにも不思議で貴い事なので、衣服を着替 え、身心を清め、神酒、香花、供具を捧げて手を合わせ、百度二百拝した。 するとまもなく、無実の災難は消え、心は青空のように晴れ晴れとなっ た。 精長卿は益々信心怠り無く、館の内に御堂や鳥居を建て、御神穀として 田圃百五十坪を寄進された。そこで村中集まって、この御堂に神様をお遷 しになり、盛歓法印を別当と定め、末世に至るまで『天満大自在綱乗天神 宮』と崇めることとした。 里人ともども大いに喜び、その夜は通夜して萬歳楽を唱え、神殿を拝礼 した。一夜にしていろいろいな松や梅が生えるなどの奇瑞(吉兆)も現れ、 こぞってその霊験あらたかなるを感じたという。 その後なぜか、精長卿は松館を別当の盛歓法印に譲り、柳館という所に 移られた。 代々の別当は里人を撫育し、天満大自在綱乗天神を敬しつつ、羽黒山 (山形県)で修業し、三帝山松館寺法光院を承り、末長く寺務が繁栄した。 以上に拠ると、松館菅原神社に奉納される神楽舞は、往古「天満大自在 綱乗天神宮」と崇めたとされる、その天神宮に村中が萬歳楽を唱えたこと が起源と考えられる。 すなわち、後述の『松館菅原神社沿革』などを参酌して見ると、次のよ うに整理される。 一つには、西暦五〇〇年前後(推定)ないし、一〇〇〇年代初めまでに は既に「松館」としての集落が成立していた。 二つには、この地の館主精左衛門精長卿は、夢に、無実の罪を消滅すべ き託宣を承けた。 三つには、その託宣に報いるため、「天満大自在綱乗天神宮」を勧請し、 里人とともに「萬歳楽」を唱えて、その神霊に謝し、崇め奉った。このと きが神楽舞奉納の起源である。 |