GLN(GREEN & LUCKY NET)からこんにちは

11 川原大神楽

三、人々の神仏信仰
 
 月山神社及びその祭典に対する人々の神仏信仰は、次のような歴史的に
強い結び付きが感じられる。
 そのなかで、「川原大神楽」が今もって保存伝承され、人々の心の奥深
く刻み込まれていることは、感慨深いものがある。
 
(一)月山神社のもと本地「虚空蔵菩薩像」
 毛馬内の常照寺の境内の、小さなお堂に「虚空蔵菩薩像」が安置されて
いる。この「虚空蔵菩薩像」は、鹿角市の有形民俗文化財に指定されてい
る。
 この像の由来は、嘉永三年(一八五〇)真言宗宝珠盛岡山永福寺から月
山神社の本地仏として迎えられたものという。明治初年の廃仏毀釈により、
この本尊は廃棄の非運に遭遇し、能代の骨董商に売却されたが、毛馬内下
町の有志によって買い戻され、ここ浄土真宗心光山常照寺境内に安置され
ているものである。
 厨子背面には「奉納月山大権現本地虚空尊像一体」と書かれ、「右尊体
者宝珠盛岡山永福寺五十八世現住権僧正宥祥代當社普請成就ニ付上下遷宮
為大導師直参之砌為御武運長久国家安穏殊者某申法運長久諸願円満氏子繁
盛當社奉成本尊納置也」の文言も見えるるという。
 なお、盛岡藩時代真言宗廣増寺は、山号を月山、前述の永福寺の末寺で
あった。
 月山神社は毛馬内通の総鎮守で、藩公の崇敬厚く、霊験顕著な神として
庶民の信仰を集め、廣増寺はその別当職を務めていた。
 したがって、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)までは、この「虚空蔵菩
薩像」を神社のご本尊として拝み、信仰してきたのである。
 
(二)神輿渡御
 廣増寺が月山神社の別当を務めていたことから、神輿はもと廣増寺の近
くの神明社収蔵庫に格納されている。神輿渡御が神明社から里宮への神幸、
又は里宮から神明社への還幸は、毛馬内の目抜き通りを練り歩く。沿道の
人々は、神輿が自分の家の前を通ると、手を合わせたり、また二拍手をし
てその神恩に感謝している風景が至る所で見受けられる。
 
(三)川原大神楽の巡行(門付)
 獅子舞は普通、悪霊退散、無病息災などのために舞われる。神の霊験を
獅子頭にいただいて、それによって衆生(人々のこと)を祓い清めたり、
神徳を授けたりするのである。
 川原大神楽の場合は、獅子舞によって主に悪魔祓いをする。すなわちこ
のことは、神楽の随行役の人たちが謡う「押し開き、いざや神楽を舞いあ
そぶ。皆白栲の幣束を持って悪魔を祓い、ソレカラセイ、アグーノ」の歌
詞によってもうかがわれる。
 神から霊験を授与されるとき、つまりその臨場は清浄で厳粛なものとさ
れる。したがって人々は、神霊が授与された後はその緊張感を平常に直す
必要がある。そのため例祭々式の後は「直会」として、お神酒や神饌の下
がりを頂戴して、互いに直り会うのである。川原大神楽においても、悪魔
祓いを受けた後に、万歳を演じてもらうことにより、おかししさのあまり
笑ってしまい、無意識のうちに緊張感から解放されるのであろう。
 なお近年は、奥宮月山神社の初詣のときにも、川原大神楽を奉納し、氏
子たちともども新年の慶びを分かち合うとのことである。

[次へ進んで下さい]