二、信仰の伝承 (一)山伏による宗教活動 月山神社の信仰に関しては、江戸時代における山伏(修験者)の活動に よることが大きい。 山伏の活動としては、公私にわたり自主的に、また依頼を受けて加持祈 祷や卜占などがある。 公的なものとしては、天下泰平、国家安全、五穀豊穣、武運長久、疾病 退散、出金(金偏+白)銅増進、火防や堂社の祭礼など、また私的なもの としては、春祈祷、地祭、新宅祓、葬式の後祓、安産、子供の夜泣、取子、 病気平癒などである。 民俗芸能として伝承されているものは、山伏神楽(湯立神楽)や門獅子 (「権現様廻し」とも)などで、山伏や神子によって行われた。 鹿角あたりでも、湯立神楽や門付(人家の門口に立ち、音曲を奏したり 芸能を演じたりして金品を貰い歩くこと)が行われていた。 現在に伝えられている主なものは、松館の菅原神社の松館天満宮三台山 獅子大権現舞(法光院)、尾去の八幡神社の大森親山獅子大権現舞(慈顕 院)、柴内の柴内権現舞(大蔵院)、毛馬内の川原大神楽(月山神社)な どがある。 (二)盛岡藩などによる崇敬崇拝 『鹿角市史(第四巻)』の「くらしの中の民間信仰」に次のような記述 がある。 江戸時代には盛岡藩の寄進が多く、承応年間(一六五二〜五五)に米二 十俵とか神馬の寄進があったといわれている。その頃の祭りでは獅子権現 舞や、大神楽、湯立なども行われていた。 月山神社は第二次世界大戦中は戦勝や出征兵士の武運長久を祈り、戦後 は五穀豊穣や家内安全、学問成就の神として信仰を集めてきた。 元の祭典日である七月十三日は、オヒメッコ(御神饌)という紅白の餅 が参拝者に分け与えられ、これを食べると病気にならない、勉強ができる ようになるなどといわれている。また祭りの時は各家々でも、赤飯・お頭 付きをお神酒と共に神前に供え、お札を掲げ灯明をともして拝む。 また月山さんのお使いは兎なので、信仰心の厚い人は兎肉は全く食べな いといわれており、人々の心の中に深くおろした信仰であることがうかが われる。 (三)神仏習合のこと 『鹿角市史(第二巻下)』によると、鹿角市内の石造記念物、いわゆる 庚申塔や供養塔など近世のものが、かなり多く分布している。そのうち最 も古いものは月山神社境内のもので、寛永十七年(一六四〇)の年号が読 み取れるという。 一方、『鹿角市史(第三巻上)』によると、明治政府の神仏分離令によ り、神社における神仏混淆(神仏習合)の在り方は禁止された。このため 月山神社の本地仏である虚空蔵菩薩像は、同じ毛馬内の浄土真宗常照寺の 境内に移され現在に至っている。 このように、江戸時代末期までは、ほかの地域の神社と同じく、月山神 社も神仏習合の形態で人々に崇拝されていたのである。 (四)神社合併のこと 明治政府は天皇親政と祭政一致とを国政の基本方針とし、神社は国家の 宗祀(国家機関)とし、従って神社の維持運営のために国庫・地方費から 補給金が出されていた。 ところで明治四十年前後から、これら神社のなかで一定基準に達しない 神社の合併が督励されるようになった。 これにより月山神社には、次のような神社が合併されているとの調査記 録がある。 ア 瀬田石 村社八幡神社(この八幡神社には、瀬田石神明社が合併さ れている) イ 柏崎 神明社(この神明社には、柏崎菅原神社・柏崎館神社・前舘 稲荷神社・岡田琴平神社・柏崎稲荷神社・大坊舘稲荷神社が合併さ れている) ウ 中野平 神明社(この神明社には勝善平駒形神社が合併されている) エ 白根 山神社(この山神社には、石野神明社・白根神明社・石野雄 神社・白根市神社・石野駒形神社・石野愛宕神社が合併されている) オ 大坊舘 稲荷神社 カ 蟹沢 稲荷神社 キ 又四郎川原 稲荷神社 したがって、合併されたもとの神社の氏子たち、すなわち前記各地区の 住民は、月山神社またはその祭典にはこぞって参拝し、昔から変わらぬ信 仰を育んできているのである。 |