GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(4)

 昔というほど前の話しではないが、 戦地では野菜不足から便秘になりがちなため、便通をよくするため食物繊維の豊富なコンニャクを 食べさせたという(私は満州にいたので、コンニャクは食べた記憶はないが ‐ 忘れたのかな  ‐ 乾燥野菜とか乾燥ミソだったか醤油だったか(粉状にしたもの)を溶いて)はよく 食べさせられたが、うまくなかった)。
 コンニャクは消化されないとか、栄養分がないとかいう俗説があったようだが、 この俗説は色々調べた結果、覆されたという(大正九年頃)。 コンニャクには、食物繊維とカルシウムが豊富であるほか、板コンニャク一〇〇グラムには、 エネルギーが五キロカロリー、炭水化物二、三グラムが含まれ、栄養分のあることが証明されたという。 もう一つ、コンニャクの名誉のためにつけ加えると、 戦時中(太平洋戦争)風船に爆弾を積んでアメリカ本土を爆撃すると、本気で風船爆弾を作って 飛ばしたという。この風船を作るのに、ゴムとか色々な素材を使ってみたがうまくいかない。 結局和紙とコンニャクの糊が一番よかったという。
 私達の大事なゴミ流しのコンニャクが、戦争協力者のようになってしまったが、 今度は別の面で役に立った話し。 それは戦後神さまのようにいわれたペニシリン。 これは青カビが生成する物質なので、いかに青カビを培養するかで、日本の学者が頭をなやました。 色々なものを使ってみたが、うまくいかない。 あるとき、ふと思いついてコンニャクを使ってみたら、これが大成功だったという。 戦後になる頃の話しだという。 戦後進駐軍によって大量に持ち込まれ、ペニシリンといえばアメリカとなるわけですが、 日本でもその生産に成功していた、という話し。 私はコンニャクについては小さい頃作ったことゝ、 今でも食っていること以外には何んも知らないわけですが、 これらのコンニャクの話しは、武内孝夫著「こんにゃくの中の日本史」からの借りものです。 これからもこの本のお世話になります。

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