下タ沢会によせて(覚書)

出陣の身支度など

○鉄炮所持之組は玉薬用意玉数四十位之事
○沢限纏之流籏六尺五寸位
 黒木綿 田郡 浅黄木綿 元山 花染 赤沢 黄木綿 笹小屋 志々沢 白木綿  籏本備
  但二ツ引龍
(纏は町火消しのまといを思えばわかりやすいと思うが、要するにその沢の目印し の流し籏ということと思うが、二ツ引龍……?。籏は旗の国字)
 
○籏本備は右五色之籏五本用意可致事
○田郡六組壱本栗ノ木辺江相廻候ものは、山神社之流し籏用意可致事
○肩印一様ニ花染切壱寸ニ六寸左ノ肩江付候事
(さて、花染という言葉が出てきたが、広辞苑によると、花染とは@露草の花で染 めること。また、その染色。A桜の色に美しく染めること。また、その染色。そし て露草の異称を縹草(はなだぐさ)というと。したがって、はなだいろとは薄い藍 色ということだという。となれば赤沢の籏印はどっちだったろうか。うすい藍色か 桜色(うすいピンクか赤か)か。この辺の昔の年寄りは花色とか花染めといったら、 どっちか一方をいったのではないだろうか。となれば明るくきいな桜色ではないだ ろうか。ただしこれは私の一方的な思いこみで、両方をいったかもしれない。私達 の母親の時代までは、花色などといっていたかもしれないが、もう聞けなくなって しまった。)
 
○組頭鞭杖之頭江其沢々籏色ニ基異指之小印付候事
  但木綿切幅三寸弐三分長七八寸位弐枚付候事
(鞭杖(べんじょう)はムチのことのようだが、「異指」がわからない、目下考え 中)
 
○田郡山神堂中沢ノ庵は元山下沢江之相図兼候事
○赤沢山神堂 ○獅子沢神明堂
 右之ケ所江兼て太鼓懸置、注進次第早速駆上り二ツ続ケに早打告触可申事
  但告ふれ太鼓打出し候ハヽ兼て用意之通得物持、本番前江相詰可申事
○組頭之者組子出入日夜取調置候事
 
○迅速出張之急を告候節は、居り合鋪上り大ニ遅速前後も可有之、其節ハ居合之人 数取纏即刻籏を為持出出張後れ人数は其手の籏印目当到着不苦事
  但田郡は一ノ坂より押行中新田ニて勢揃之事
  内、六組壱本繰栗ノ木口江出張可致間上新田ニて勢揃之事
  元山は勢沢川原ニて勢揃之事
  獅子沢笹小屋は西道之神明屋敷駕籠立場ニて赤沢勢待合勢揃之事
 
(私は所々一行あけて書いているが、これは元の文書がそうなっているのではなく、 文章が長く続くと読むのに疲れる、ということで、一息つくといったことで、あけ たので、他意ありません(一つ何々とずっとつづいている)。ということで、田郡 六組の所で「壱本繰栗ノ木」とあるが、この「繰」の意味がわからない。なくても 意味が通ずるような気がする。問題は勢沢の川原、私たちはそんなことを言ったこ とはないので、考えてみたが、稲荷さんの鳥居があった赤だしと、私の家の間(下) は少し広っぱになっていたし、大切坑の川向い定雄さんの上みも広っぱになって いたと思うので、元山勢はこのあたりに集ったろうと思う。
 また、獅子沢云々のところに、西道の神明屋敷と出てくるが、西道は大体わかる として、神明屋敷とは西道のどのあたりか、私にはわからない。そして駕籠立場 (かごたてば)というのが出てくるが、これは辞典によれば、@江戸時代、街道な どで、人夫が駕籠などとめて休息する所。明治以後は人力車や馬車などの発着所。 または休憩所。ということで、前に書いた上山守古の扈従日記に御立場どこそこと 出てくるが、これは殿様が休憩するために臨時に設けた場所と思う。)
 
○騎馬挑灯蝋燭用意之事
 右之通兼て相心得用意可致事
 
 ということで、部隊編成をされ、いつ動員をかけられてもいいように準備をして おけ、ということだと思うが、いざ出陣となったらどうするか。

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