この元山神社を再建した昭和39年は、尾去沢鉱山の製錬部門の縮少問題の起きた 年であり、41年には製錬所廃止、42年には尾去沢鉱山初めての合理化で、従業員約 800人がその家族と共に他場所に転換して行き、以来53年の閉山へと向って行く。と いうことは昭和39年は、戦後尾去沢鉱山の一つの頂点であり、当時従業員数約 2,200人、戸数2,360戸、人口10,800人(閉山時110人(外に下請組あり)、1,403戸、 4,800人)あった人口は、現在戸数は約1,390戸、人口約3,640人と激減している (閉山時と比べると戸数はあまりかわらないが、人口は約1,000人減っている。)、 ということは、元山神社も建立して早や40年、再建に関係した人達もその多くは鉱 山と運命を共にして、他郷に生活の場を求めて故郷を去り、またそうした人達も次 第に高齢になると共に、再建に努力した人達のほとんどは故人となり、今はその子 孫(子供や孫)の時代になっているが、尾去沢に在住する人はその数も数える程よ りなく、祭祀もとどこおりがちで、その維持管理も危ぶまれている。 |