下タ沢会によせて(覚書)

田郡から三ツ矢沢へ − 学校移転の頃の思い出 −

○内田正男さん(廃校に思う)
 ※下新田、昭和22年入学。
 ……前略……
 当時、昭和二十八年(26年の誤植か)自分が五年生の時も、今とおなじように田 郡小学校の廃校の時であった。廃校といっても今のように状況ではなく、単に田郡 から三ツ矢沢に移転するというだけで、そう気にしなかったが、六年生を先頭に、 山の上の学校から、中新田の馬小屋への荷物運び、今よりも人数も多く、初めての 事でもあるが、苦痛は感じなく、むしろ勉強しないで、そういう日が一週間ばかり 続いたので、面白かったという感じが残っている。
 オルガンを下げるのには、たいそう苦労したものだ。
 当時新校舎が未完成だったので、教室は中新田部落K氏の馬小屋とその二階であっ た。二階はまだしも、階下に至っては、長年馬が住まいした場所だけに、少しばか しの掃除をしたからと言っても、周囲の板には馬糞がついているものの、異様なに おいがするものの、最初のうちは、勉強どころか、毎日毎日が大騒動の連続であっ た。
 そんな毎日が続いているうちに、卒業式間近になって二度目の引越しである。新 校舎への希望と喜びも新たに荷運びをしたものであった。新校舎は、やゝ未完成で あったが、真新しい階段、玄関、真っ白な壁、そして顔が写るような床板、晴ばれ した気持で未完成の校舎ながら、第一期卒業式が挙行されたものである。自分は第 二期卒業である(内田さんの卒業したのは昭和28年3月)。
 ……以下略……

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