尾去沢鉱山が、三菱金属より分離独立して新会社(仔会社)となったのは昭和47
年4月1日(同じとき尾去沢・八幡平・花輪・十和田、四地区が合併して鹿角市が誕生)
であった。以来独立採算制のもとに、閉山まで苦難の道を歩むわけですが、それだ
けに鉱石の探鉱採掘だけでなく、何にか鉱山の経営にプラスになるものはないかと
模索していたが、その一つに水砕カラミがあった。重くて耐火性があるので、関西
方面に何にかの工場の炉?かに使うとかいう鋳物製のおもりの代りに、このカラミ
でおもりをつくった。それは採鉱課の方でやっており、私は事務化の方にいたので、
具体的なことはよくわからないが、直径10CM、長さ25CMくらいの大砲の弾のような
かたちだった。小型トラックで2〜3度出荷したと思ったが、間もなくやめた。採算
が合わなかったのか、今は関係した人が誰もいなくなったので、聞きようもなくな
った。 もう一つは、タイマー工場だった。これは裾野市にある三菱マロリーの下請とし て、工作課の事務所を改造して工場をつくり、洗濯機とか乾燥機とか電気製品に使 用するタイマーを組立てた。 昭和49年7月1日、尾去沢鉱山株式会社加工部タイマー工場として(当初女性24名、 後パートを入れて40名くらい)順調にすべり出し、閉山後も操業していたが、家電 製品不況のあおりを受けて、昭和54年7月14日閉鎖された。 |