下タ沢会によせて(覚書)

カンテラ

 松ローソクの話しが松の根っこ掘りの話しになってしまったが、また坑内の灯り の話しにもどって、

 尾去沢では幕末まで灯し竹を使っていたというが、明治に入ってからも使ってい たと思われる。それはいつ頃までだったろうか。先に高田さんだと思うが、明治28 年頃まで使っていた、シラシメカンテラというのもあったというが、それは灯し竹 に代って使われたのか、ガスカンテラと併行して使われたのか、わからないが、ガ スカンテラは明治42年から使われたといっている。
 私達はなんの疑問もなくカンテラ、カンテラといって使っていたが、そもそもカ ンテラとは?、と辞典を見たら、「カンテラ:提灯または灯台の意。ブリキの油壺 中に灯油を入れ、綿糸を芯として火を点じ、携帯用とした照明具」とある。ついで にカーバイトをみたら、「カーバイド:炭化物。特に炭化カルシュウムをいう。カ ーバイト」、なんだかわけがわからなくなってきた。

 さてカンテラ。ブリキの油壺に灯油を入れたというが、どんな形をしていたろう か、なんとなく分かるような分からないような気分だ。カーバイトを入れたカンテ ラなら、いわれなくても毎日下げて歩いたから分かるが、高田さんはカンテラを使 ったのは明治42年頃からといっているが、たしか佐渡金山の採鉱課長とかが考えた、 という話しをどこかでみたような気がして、また麓さんの本をひっくり返してみた。

 「坑内照明は往昔の「釣り」はカンテラに改められたが、燃料は矢張り荏桐油で あった。一時石油も用いられたが、油煙と危険のため禁じられた。アセチレン灯が 用いられたのは明治41年であって、当時佐渡鉱山採鉱課長田口源五郎の創案であっ た」、という。これはいゝもんだということで、早速尾去沢にも使われるようにな ったものと思われる。このアセチレン灯がいわゆるガスカンテラということで、ま た辞典をみる、

 「アセチレン:炭化水素の一、無色の気体。光輝の強い炎で燃える。灯油。また 酸素と混じて鉄の切断や溶接に利用。有機合成基礎原料。カーバイドに水を作用さ せたり、天然ガス、石油を高温で熱分解したりしてつくる。」
 何にが何んだかよくわからないが、アセチレンは尾去沢でも鉄の切断や溶接に日 常使われており、強い炎の光りで目がやられたり、火花が散るので、色メガネをか けたり面をつけたりしていた(義務づけられていた)。問題は、カーバイトを水に 作用させる、ということ。水をつけるとジュウジュウ音がして、ガスが出る。その ガスに火をつけると、いわゆるカンテラとなるわけだ。

 私達が子供の頃はどこの家にも、三角の金敷(かなしきといったか、金床(かな どこ)といったか忘れたが、厚さ4CMくらい、一辺の長さ15〜6CMくらい、真中に直 径5〜6CMの丸いくぼみのある)があった。そのくぼみにカーバイト(白っぽい鉛色 みたいな固い石だった)のかたまりを入れて、片手でおさえ、片手で手掘坑夫が使 う石頭(金鎚)でたたいてカンテラに入れるくらいの適当な大きさに割ったものだ。 硬くて中々うまく割れなかった。小さい頃は、そのかけらを拾って水溜りに入れた り、水をかけたりして、ブクブク泡を出してジュウジュウとけて、あの独特の匂の 出るのを面白がって遊んだものだった。

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