以上で慈顕院25代目の話しは終るわけですが、その話しは獅子大権現神社が非常
に栄えたこと、金銀銅を発見した梵天鋪のこと、尾去の清吉のこと、そして非常に
御霊験あらたかな神社だったことなど書いているが、更にこの尾去沢鉱山は、梵天
や清吉の発見以来化鳥が現れる文明13年(1481)まで七百七八十年の間、採掘が絶
えていたといっている。歴史上尾去沢鉱山が出てくるのは、慶長年代に入ってから
で、その文明13年以降慶長になる、およそ120年間の事もよくわからない。この話し
を書いた慈顕院には怒られるかもしれないが、尾去沢鉱山は和銅から慶長に至るお
よそ900年間は、伝説の時代といえると思う。とはいってもそれはそれなりに、何等
かの事実があって語り継がれてきたのかもしれない。
さてその尾去沢鉱山(西道金山)の発見は、慶長4年(1599)とも7年(1602)と もいわれており、今から凡そ400年前となるが、この御伝記による化鳥が現れたとい う文明13年となると、今から520年前ということになり、その頃この書にいう田郡、 横合、赤沢、下タ沢とかいう地名がはっきりしていたものかどうか、たゞ24代慈顕 院がこの御伝記を書いたのが安政7年(1778)で、今から223年前であり、また尾去 沢の三沢といわれた田郡、元山、赤沢などが稼行されはじめたのは、1660年代とい われ、今からおよそ340年前となるので、当然現在の地名は使われていたと思う。 たゞ私達は「尾去沢」という地名は、昔からあったと思っており、またいろんな 本にも尾去沢で金が発見されたとか、西道金山が発見されたとか書いてあるが、そ の頃は西道金山とはいっても、尾去沢金山とはいわなかったようだし、いつ頃から 古い文書などに尾去沢という地名が出てくるのか、それは下タ沢についても同じこ とで、いつ頃から下タ沢はこの世に顔を出すのか、それはそれとして、また話しは もどるが。 |