下タ沢会によせて(覚書)

いつ頃日本に

 さて、日本に初めてリンゴが入ってきたのは、ヨーロッパからだろうか、アメリ カからだろうか。それはさておき、秋田県に入ったのは、鹿角市史によれば、明治 8年のことで、国の勧業寮から、「外国果樹穀菜等試植」のため、各種の種、苗木 が県へ送られた(明治八年県庁日誌)という。その種類は、蔬菜は別として、桃5 本、桜桃5本、リンゴ5本、梨10本、葡萄10本、スグリ5本、フサスグリ10本、杏5本 などとなっている。ただし石川理紀之助(種苗交換会の創始者)は、移入の時期は 明治7年としているという。

 「鹿角のあゆみ」(昭和44年7月刊)によれば、リンゴが秋田県に入ったのは、 「明治7年勧業寮から秋田県に苗木3本が下げ渡しになり、秋田町(秋田市)、河辺 郡に栽植したのが本県リンゴ栽培のはじまりである。明治9年には、埼玉県の苗木師 から秋田県庁が買上げ、県内有志に苗木を払下げた。それが明治13〜4年に結実をみ るに及び、驚きの目をもって迎えられた。」という。

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]