その家は家として親を呼ぶのに、今のようにお父さん、お母さんなどとはあまり
いわなかったと思う。父親は大いてい「オド」だった(どこそこのチャーさんとい
うのもあったが)、母親の方になると迷う。私の母は「ジャジャ」だった。本家は
「オガ」、幸子のところは「ガガ」だった。なぜそう呼び方に違いがあるのかわか
らない。私達の母親は姉妹だった。残っているうちで、一番上が幸子の母(四女)、
二番目は本家を継いだ五女、私の母は一番下の七女、それで幸子の母は姉だけれど
も、先に別家になったので「ガガ」、二番目は本家を継いだので「オガ」、私の母
は一番バッチコだたのをで「ジャジャ」、これでは説明にならない。何にか家の格
式というか、ならわしのようなものがあったろうか。こういう家は○○、こういう
家は△△というような、花輪は旧家や商家が多いだろうと思って、「花輪弁」の本
を見たが納得のいく説明はなかった。やはりこういうのは、民俗学者とかいわれる
人の出番か。
また、「エデ = 父、夫」とか「アッパ = 母、妻」という呼び方もあったが、 下タ沢ではあまりつかわなかったと思うし、「カゲ」の方でも、鉱山地区はそうだ ったと思う。農村地区の人達は、一般的に多く使っていたと思う。 |