GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

鹿角 八幡平 松館 菅原神社春季例大祭参拝の記:はじめに

源実朝
 ともあれ三代目の実朝は、1219年1月27日、 鶴岡八幡宮で右大臣就任拝賀の式典を終えて石段を下りる途中、 公孫樹の木のかげにかくれていた甥(兄頼家の子)の公暁(20才)に襲われて殺される(28才)。 公暁はその場からは乳母の夫三浦義村を頼って逃げたが、その配下の武士に討ちとられたという。
 こうして頼朝が征夷大将軍になり、鎌倉に幕府を開いてからおよそ27〜8年、 骨肉相食む悲劇の中で源氏の正統は絶えて、世は北條氏の時代に入って行く。 平家の滅亡、源氏の末路、沙羅双樹の花の色はどんな色かは知らないが、 おごれる者も、たけき者も、一朝の夢の如く、諸行無常の響きを残して滅んでゆく、 偏えに風の前の塵に同じか……。
 
 それでも源氏の三代目は風の前の塵のように吹き飛ばされないように、 金槐集(きんかいしゅう)とかいう歌集を残した。「きんかい」は、キンカイでも、 金塊なら尾去沢にも縁があるが、金槐となると、どんな意味だかわからない、考えてもみなかった。 が、今回この金槐をさがしてみたら、金は鎌倉の鎌の偏、槐は大臣のこと、 となれば鎌倉の右大臣の歌集ということで納得となるが、 槐がなんで大臣のことかとなれば、またわからない。 そこで槐の字をさがしたら、槐(えんじゅ。どこかで見たことのある字だと思った)、 高級の建築資材はわかるとして、なんで大臣かわからない。 そしたら「三槐」という言葉をみつけた。 いわく、三槐(太師・太傅(たいふ)・太保)の異称、中国の宋代、 朝廷の三公の立つ位置に三本のエンジュを植えた故事に基づくという。 また、この木の下で訟を聴いたとも、 これにならって日本でも大臣になれば“三槐“になったといったかどうかは聞いたこともないが、 同じカイでも、首カイとか巨カイともなれば悪玉の大親分で、カイはカイでも魁が違う。

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