鹿角 八幡平 松館 菅原神社春季例大祭参拝の記:はじめに |
中尊寺この中尊寺の方に行ったときのアルバムにつけた説明を少し長ったらしくなるが二、三書き写してみる。 ○「中尊寺の展望台から 眼下のタンボ一帯は昔藤原三代の都として栄えたところだと − 元禄2年(1689)旧5月、 芭蕉が訪ねた平泉は見るかげもなく廃墟と化し、山河のみ美しく光っていた。 “夏草や兵どもが夢の跡“ − 毛越寺の説明書から」 ○「この毛越寺の庭園についての説明書は、「桜、つつじ、蓮、萩、 山吹など様々な草木が四季折々の彩りをそえ、 中でも「花しょうぶ」は見事で訪れる人々の目を楽しませてくれる。 見頃に合せて「あやめ祭」が開催される(6/25〜7/15)」と。 私達は桜にはおそく、あやめには早かった。残念!!」 私もこの庭園を一まわりしたことを思い出したが、庭園の説明板などは写しているが、 芭蕉の句碑は写していない。いつ立てたか知らないが、気付かなかったのか。 ○そしてもう一つの説明 「小雨にせかされてのかけ足見学で、ろくに写真もとれなかったので、 その埋合せに300年程前の芭蕉さんに一寸登場してもらって 「おくのほそ道」の金色堂のくだりを格調高く一節うなってもらうことゝする。 “兼(かね)て耳驚(おどろか)したる二堂開帳す。経堂(きょうどう)は三将の像をのこし、 光堂は三代の棺(ひつぎ)を納め、三尊(さんぞん)の仏を安置す。 七宝(しちほう)散(ちり)うせて、珠(たま)の扉(とびら)風にやぶれ、 金(こがね)の柱霜雪(そうせつ)に朽(くち)て、 既(すでに)頽廃空虚(たいはいくうきょ)の叢(くさむら)と成(なる)べきを、 四面新(あらたに)に囲(かこみ)て、甍(いらか)を覆(おおい)て雨風を凌(しのぐ)。 暫時(しばらく)千歳(せんざい)の記念(かたみ)とはなれり。 “五月雨の降のこしてや光堂“ お寺だ仏像だ、やれ文化財となれば、なんでも京都、奈良ということになり、 中曽根総理に言わせれば東北は「知的水準」が低いということになるだろうが、 どっこい日本の国宝指定第一号が金色堂だ、ザーマミロだ。 ところで芭蕉というと杖をついて旅をするジサマと思うが、このとき46才、 死んだのが51才だ。若い若い、我々は死んだところで後世に残るものはなんにもないが、 あの世に行って芭蕉のジサマに馬鹿にされないように、 オラー、オメエの倍も生きたんだとエバレルようにうんと楽しく長生きしよう。」 上記の「おくのほそ道」の一節は、毛越寺の説明書からであったと思う。 ともあれ芭蕉のジサマにカラ口きいたのは25年程前の話しだ。 今90の声を聞くと菩提寺の鐘もオイデ、オイデと聞こえてくる。 何にかの文句にあったと考えているが思い出せない。 なんでも90になってからおむかえがきたら、まだ早いといえ、といっていたように思う。 が、この90の坂はきつい。皆さんに押してもらったり、引っぱってもらったりして、 あまり迷わくかけないようにトボトボでは可愛そうだから楽しくニギヤカにのぼっていきたいと思う。 |