鹿角 八幡平 松館 菅原神社春季例大祭参拝の記:はじめに |
平泉(大字)八幡平の桃枝だかに藤原姓が多いのは(ほんとかな?)、この逃げてゆく藤原氏の一族? がかくれすんだのだという(何かの本の話し、この何にかの本をさがしているが見つからない)。 贄柵は大館市とあるので、大館の教育委員会に聞いてみたら、現大館市二井田贄の里だという。 どのあたりかわかったようなわからないような気分だ。 今、平泉の中尊寺、毛越寺、金色堂などが世界遺産に登録になった。 あのとき、兵火に焼かれなくてよかったと思って、 泰衡が火をつけた柳の御所とどれくらいはなれているだろうと、平泉町の教育委員会に、 おめでとうございます、と敬意を表して聞いてみたら、東の方に2.5Kくらい離れていると。 それならよかった、頼朝軍は泰衡を追っかけるのに急で、 そんな古いお寺になんか目もくれていられなかったろう。 尾去沢の山神社から花輪の駅の火事を見ている感じだ。 それにしてもと、もう一つ聞いた。彼の芭蕉(1644〜1694)が奥の細道かなんかで、 “夏草や兵どもが夢の跡“とか詠んでいるその句碑か記念碑があると思うがどこにありますかと (私は柳の御所跡の草っ原にでもあるかなと思って)、何んのことはない毛越寺の境内にあると、 となれば何かの団体旅行で行ったことがあるはずだが思い出せない。写真も見付からない。 ともあれ“さみだれの降り残してや光堂“ともなれば、 尾去沢から運ばれた金は今も燦然と輝いて世界に認められた文化遺産の一翼をになっている。 以て尾去沢鉱山も宜とすべし、か。また横道にそれてしまった。 とこんなことを思っているうちに毛越寺に行ったときのアルバムが見付かった。 それは昭和61年の5月だった。このとき晴沢先生も後18年たてば100才だと元気でご一緒されていた。 私も中尊寺の展望台から柳の御所の方を見ていたのだが……。 何分にも昨日のことも思い出せないのが25年も前のことおぼえているはずがない、 といばるわけではないが、そのとき(同級会)一緒に行ったのが34〜5人、多くの人が死んでしまって、 息をついているのは10人くらい、一応元気でいるのがそのまた半分くらい。 人間九十ともなれば祇園精舎の鐘の声が身にしみる (本当は聞いたことはないが、聞いているのはお寺の鐘の音だ)。 |