鹿角 八幡平 松館 菅原神社春季例大祭参拝の記:はじめに |
平氏台頭ということで平家の代表はなんといっても清盛(1118〜1181)だ。 彼は18才の若さで従四位下にスピード出世、これは武士の子弟としては異例の早さだといわれている。 この昇進の早さを解く鍵は、彼の出生にあるようだという。 白河法皇(天下の三不如意となげいた)が寵愛していた祇園女御の妹に懐妊させ忠盛の妻とした (要するに払下げた)というのが有力説とされているという。 わかりやすくいえば、清盛は白河法皇の子ということになる。 清盛が従一位太政大臣となったのが50才、1167年、一門が栄えて「平家にあらざれば人にあらず」 などといばったが、世の中、そうはいかない。 ともあれ源義朝が平治の乱で平家に敗れて死んだのが1159年、 長男義平(悪源太などと名乗ったあばれん坊)が翌年再起をはかったが、 捕らえられて京都の六条河原で首を切られてしまう。 二男の朝長、これがどうなったかわからない(私には)。 平治の乱で父と一緒に死んでしまったのか、 平家物語とか源平盛衰記などよく見ればわかるかもしれない(外の人のことも)。 一方義朝の妻常盤御前、絶世の美人、一目見た清盛たちまちメロメロ、鼻の下を長くして、 俺のいうことを聞けば三人の子の生命を助けると。 これが平家の命とりになるとも知らず、常盤は考えたろうと私は思う。 この子たちに源氏の再興を託そうと。 後年といってもずっと後だが、深川星巌(幕末の詩人。明治になる10年ほど前にコレラで死んだ)が、 “常盤抱孤図“という詩をつくった。 雪ハ笠檐(りゅうえん)ニ灑(そそ)イデ風袂(たもと)ヲ捲ク 呱呱(ここ)乳ヲ索(もと)ム若爲(いかん)ノ情(じょう) 他年(たねん)鐵枴(てっかい)峰頭(ほうとう)ノ嶮(けん) 三軍ヲ叱咤(しった)スルハ是レ此ノ聲 ※別掲 常盤抱孤圖 雪灑笠檐風卷袂、 呱呱索乳若爲情。 他年銕枴峰頭嶮、 叱咤三軍是此聲。 ※笠檐=かさのひさし・かさのふち。 呱呱=乳飲み子の泣声、生まれたとき呱呱の声を上げる(産声)という じゃないか。 鐵枴=鉄製の杖。 三軍=中国周の兵制、上軍・中軍・下軍。全軍。常盤が連れていた三人の子は、今若(全成)、乙若(義円)、牛若(義経)。 牛若は鞍馬寺に預けられたいうから、外の二人も名前からして坊主にされたのかもしれない。 とにかく二番目の乙若はその後どうなったかわからない(私には)。 兄の今若は阿野全成(あのぜんじょう)として出てくる。 彼は鎌倉前期僧籍の武将という。 平治の乱後、醍醐寺で出家して醍醐(悪)禅師全成と称されたという。 治承4年頼朝の挙兵をきゝ直ちに関東下向、合流、武蔵国長尾寺を与えられ、 更に駿河国阿野を領し、阿野法橋と号したという。 北条時政の娘阿波局を娶ったまではいゝが、頼朝が死んだ後、 源氏の跡継問題で常陸国に流された(1203.5月)。翌月下野国で殺されたという。 どうでもいゝ話しだが、せっかく義経三兄弟が出てきたのでさがしてみたが、 小学校の歴史の話しでも聞いたこともなかったと思うので、 彼は血統がいゝというだけで、平家討伐には大いして役には立たなかったのかもしれない。 |