GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

鹿角 八幡平 松館 菅原神社春季例大祭参拝の記:はじめに

藤原氏全盛
 1000年前といえば、平安時代とかいったような気がする。 となれば藤原氏全盛の時代で、藤原の道長というのがいて、京都でイバリくさっていたような気がする。 彼は関白太政大臣とかいわれるが、そこは少しあやしいようだが、とにかく位い人臣を極めたというやつだ。 1018年10月16日、道長(53)の娘妍子(けんし。25)が皇太后に、 威子(いし。20)が後一条天皇の中宮となった。威子の立后(皇后)により、 太皇太后彰子(しょうし)とあわせて一家から三后を出したことになり、 道長は天皇の外戚として権威を振るう。 そこで一首、私じゃない道長だ。
 “この世をば我が世とぞ思う望月のかけたることのなしと思へば“と。
 いゝ気なもんだ、となるが我が道真をあることないこと、なんだかんだとデッチ上げて、 天皇につげ口(讒奏(ざんそう))して九州にケトバシた時平(871〜909)は、 年からいって道長のシジイということになるか。

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