GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

鹿角 八幡平 松館 菅原神社春季例大祭参拝の記:はじめに

清涼殿に落雷、大納言らが即死する。道真の怨霊のしわざ?
 930年6月26日、京都内裏(だいり)の天皇の住まいである清涼殿(せいりょうでん)に落雷があ、 公卿(くぎょう)2人が即死した。
 この日 午後4時過ぎより雷鳴がとどろき、5時過ぎからは大雷雨となり、 ついに目もくらむ電光と大音響とともに清涼穀南西角の柱に落雷した。 このとき、清涼殿南廂(みなみびさし)の殿上の間に伺候していた十数名の公卿・侍臣のうち、 大納言藤原清貫(きよつら。64)が胸を焼き裂かれて即死、 右中弁平希世(まれよ)は顔面を焼かれて死亡、他の人々は叫び逃げまどった。
 雷火は清涼殿南廂の屋根で発火したが、右近衛茂景(うこのえしげかげ)が死の覚悟で消し止め、 炎上はまぬがれた。 この天変に醍醐(だいご)天皇の受けた恐怖と衝撃は大きく、 落雷は菅原道真の怨霊のしわざという風評が流れるなか、9月22日譲位、29日46歳で死去する。

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