鹿友会誌(抄)
「第一冊」
 
△思ふふし一つ二つ   無人無言樓主恒
 鹿角にて、つねに若き女を呼びて、あね子といへるが、若き女をあね子と呼ぶは、古 き雅言にぞありける、そがあかしは、日本武尊、甲斐の坂折の宮に於て、宮酢姫をしぬ びて、よみ給へる歌に(熱田縁起)、  
 阿由知何多(あゆちがた)、
 比加弥阿禰古波(ひがみあねこは)、
 和例許牟止(われこむと)、
 止許佐留良牟也(とこさるらむや)、
阿波礼阿禰古乎(あはれあねこを)、
 
とあり、又曾丹集に、
 あねこがねやの、たかすがき
とよめる見ゆ、
 
 遠き田舎の俚言には、古き雅言を存し居ること、まゝあり、因に記す、
 とこさるらむやは、夜床を半避けてや寝らんと云意なり、 古男もたる女は、夜独り寝る時は、床を半ば避りて、偏寄り習なりき、 これ夫の寝べき所を、斎ひて、明けおくれるなり、
 万葉に、夜床加多佐里(十八)、又枕片去(四)などよめる、是なり、
 或は、待夜には、夫の寝ん方を、暖め置て、片去ることも、ありしなり、
 
 南山の竹、反て北地に在り、わきて鹿角は、其の名産なるべきを、之に羽つけ、之に 鏃つけて、よく飛ばんとてぞ、都には出来なり、さるを、中には之をつけ損ひて、つび 竹の、すたれ竹となりて、枯れ終らん竹の、あらざるかと、思へば、心も安からぬぞか し

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