鹿友会誌(抄) 「第四十五冊」 |
△青山鑛司君経歴 一、明治十七年三月 足尾鉱山に生る 一、学校経歴 一、郁文館中学卒業 一、早稲田大学文科卒業 一、職業 一、京橋区に金物商を開く 一、山形県日正鉱山経営 一、古河鉱業勤務(自大正九年至十二年) 一、北海道某鉱山技師として赴任す(一ケ年半にて辞任) 一、満鮮鉄業の技師長として赴任 一、昭和十七年五月廿一日 死亡 一、法名 松嶺院正堂義鑛居士 一、行年 五十九歳 追憶記 人の幸福は死んで見なければ知れないと云ふ、人事棺を覆ふて後定まるとは、其れをいふ ものであらう、君の若かりし時代の生活は、殿様生活其のものであった。早稲田学生時代の 学生振りは、学習院の貴公子にも優るものあった。愈々卒業して世に出でて、地金商店などを 開業したが、由来体験もなくして開いた事業だ。所謂士族の商法、遂に失敗して了ふた。 次々に経営する自営の業、皆失敗であった。又愛閨を喪ふて孤独生活をする、唯一人の息は 応召不在、自分唯一人の寂寥たる生活の裡に、長病を以て逝く、君の臨終の感や全く同情に 堪へざるものあり。 |