鹿友会誌(抄) 「第四十五冊」 |
△小田島信一郎君経歴 一、明治四十五年 東京帝国大学法科卒業 一、同年五月 旭生命保険会社より渡邊商事会社を経て、大正十一年退社 一、大正十一年 神田にカフェー、マウンテン開業 一、同十二年九月 右カフェー罹災、一事帰郷す 一、同十三年 再上京す、財団法人同潤会に入り 一、昭和十年 同潤会退社 一、同年 酒場(千石屋)を開店 一、昭和十三年 ラサ鉱業株式会社に入社 一、昭和十七年十一月十一日 右会社在職の儘死去 一、法名 仁荘院悟山哲心居士 一、行年 五十八歳 追憶記 今日の幸福は、明日は不幸に変ることあり、運といふもの程逆賭出来ぬものはない、君は 東大に学生たりし時、都下有名の某財閥の息と同学の友として、爾汝の交甚だ濃厚なるもの あり、其の友、君の卒業の事につき堅く約束せる所あり、君、是れを以て高文などの意思なく、 又他会社・銀行に就職するの念なきものの如く見えたり、人として社長重役は目前にブラ下りて 居れば、君の如く考ふるは当然の事である。然るに此の幸福は君を幸福にしたかといふに、 其の財閥の一朝の没落は、君をして泡沫夢現に帰せしめたのである。スタートの第一歩は 斯くなった。君の就職幸先凶を兆したのであった様である。 |