鹿友会誌(抄)
「第四十五冊」
 
△青山芳得君を憶ふ   川村竹治
 五十余年の長き交誼を悉ふした、郷友青山芳得君逝きて幽明境を異にするに至り、 寂寥の感転た切なるものあり、曩には石田八彌、内藤湖南、内田清太郎等の諸君を喪ひ、 今又青山君の易簀に会ふ、而して自分も亦齢漸く高く、天の一方より生者必滅の鐘の声は 聞えて来る如き感がする、今や鹿友会の残存老友としては、大里武八郎、湯瀬禮太郎の 二君位となった、両君に於いても青山君の長逝に会しては、定めし同様の感を懐かれて居る ことゝ信ず。
 
 何分青山君とは前言の如く、数十年間の長き交遊であるから、想出とか回顧といふものも 縷述に遑なき程あるが、僕も老来筆を執る又懶く残念ながらその大部分を省記する、唯だ 茲に僕として、君に感謝しなければならぬことは、御奉公多事にして、自分は南船北馬、 公務に鞅掌して他を省るの暇なかりし為め、我が鹿友会のお世話をして、若き会員を育み 培ふべき先輩の責任を尽し難く、後進の期待に辜負し居たるに、君は能く鹿友会の父として又 大先輩としての共同の責任者として、我々の分までも引受けて鹿友会の面倒を見て下されたる 事は、僕として感謝に堪へざる所である。
 
 僕の如き各方面の仕事に従事した者は、交際する範囲も自然に広くなり、其の種類も多いが、 五十余年の長きに亘り始終渝らざる交遊は少ないものだ、政界官界の友の如きは、その離合 集散は常とする所、朝に越客、夕に呉客の観さへあるものだが、栄枯盛衰に因る交情の 厚薄もなく、兄弟の親を持続出来るものは、同郷の旧き友に如くものない。青山君逝きて僕 の心に与へた衝動は、蓋し又自ら特別だものがある。
 
 君は志を海軍に立てたる時は、我が国の海軍の黎明時代で、今日の大東亜戦を担当して戦功を 立て居る大提督は、君の同輩又は教へ子である。若しそれ君にして武運長久にして健康に 恵まれ、待命を余儀なくされた胆石病もなくば、海軍の大先輩として、仰がれたことであらう。 乍併我が海戦史上特筆すべき日本海々戦は、君の専門にして且つ最も得意とする水雷攻撃の 司令として参加したることにして、赫々たる戦勝の裏面に、君の大なる勲功ありし事を 吾人は牢記す可きであると思ふ。

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