鹿友会誌(抄)
「第四十五冊」
 
△巻頭言「発刊の辞 幹事長」
 鹿友会の父として、多年其の中心となって御指導を賜はりたる顧問青山芳得様の御他 界に会し、本会の為め誠に悲しき不幸を記念し、お悔みを申上しるべく、数年間の逝去 せる物故会員の追悼を兼ね、茲に昭和十八年度の会誌は追悼号として、発刊することに 致しました。青山様の鹿友会に於ける多年の御功績と、同時に此の会誌に併記せる、物 故会員の経歴逸事は、誌中の記事に譲り、御生前深交を忝ふしたる各位を一誌に輯録し て追悼申上くるに至りたるを悲しむものであります。曩に青松寺に於いて、合同法要を 以て其の冥福を祈り、今此の会誌を追悼号と題して、永く会誌を通して、各位の御容姿 と其の御経歴を記し、併せて追憶の文を附加して、各々其の生涯の記事をば、長く遺し て思慕に供することに致しました。是れ本誌発刊の主旨であります。
 
 鹿友会誌は、実に鹿角の紳士録であります、又鹿角史としての半面も有して居る雑誌 であります。未た入会せさる相当の成功者も勿論ありますが、相当社会的に活動し居ら るる人物は大抵会員であり、歴史は人事の記録と看做せば、大多数を網羅する鹿角出身 者たる、鹿友会員の経歴の記述は、又鹿角の歴史の一部分でもあると申されませう。
 人は死すると、遂年忘れられ、遂には全く人の記憶の外に逸し去るものでありまして、 僅かに自己の子孫のみに追憶せらるるに過ぎるのは常であります。否な営々役々子孫の 為め美田を買ひたる祖と雖も、親の辛苦、子の安楽、孫の貧乏ともなり果てると、孫 は祖父の有難味は知らぬ、然るに鹿友会は、其の写真其の記録を、数百金を費して輯録 し、長く後世に遺す、其の間に何等の営利の心も打算もない、唯た懐しい、慕はしい、 悔しいの死別の情は結晶して、鹿友会追悼号となったのであります。此の伝統の赤誠は、 長く後に遺したい美風であります。会員は勿論鹿角全部の方々に、血を吐く思ひで絶叫 したいのは、先輩は遺されたる鹿友会及び鹿友会誌の如きは他に其の例は少なく、今急 に設立せんとするも其の形は出来ても、其の霊は缺けるでありませう、即ち仏は造られ ても魂は入らぬであらうと思ふ、此の聖なる会と雑誌、大きな鹿角隣組の為めに、淳風 美俗の昂揚に資し、一億一心の細胞とし、和衷協同の鉄環とする様に愛護支援を賜はら んことであります。
 
 終に人誰か其の死と共に其の名永遠に忘れらるることを欲する者ありませうか、鹿友 会誌は其の生前の実績と写真を、永遠に伝へる機関でもあります。此の意味に於いて、 立志伝的生涯を送た人は勿論、其の他の人々も常に会に親しみを寄せられ、其の閲歴を 詳知せしめる様に致しし下さることを御願申上けて置きます。

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