鹿友会誌(抄)第四十四冊
特別発刊「鹿角出身産業家列伝(第一輯)」
 
△和井内貞行氏
 
 十和田湖開発の大恩人 和井内貞行翁
  功成りて名遂ぐ
 爾来翁は我が国に於ける養魚の一大先覚者として其の名を全国に知られ、翌四十一年 九月 東宮殿下(後の大正天皇)が東北地方に御巡啓あらせられた際、特に召されて、 秋田市の御旅館に奉伺し、拝謁の後裔に浴した上、
 「益々事業ニ精励シ国益ヲ計ルベシ」 との令旨を拝受した。
 
 其の頃予て工事中であった小坂鉄道は既に大部分の敷設を終り、営業開始も待近かっ た。翌四十二年には東都十大新聞雑誌記者団を迎へて湖景の宣伝に努めた。
 爾来十和田の観光客は年と共に増加する気運に向った為、同四十四年翁は旅館建築の 工事を起し、大正五年に至って見事に竣工下タ沢。之が有名な和井内ホテルで和洋折衷 の大建築。地方には稀に見る高尚な旅館である。
 大正八年翁は養魚事業を長男に一任し、毛馬内町の本邸に移った。時に年は六十二歳。
 其の後大正十年秩父宮、高松宮両殿下は東北地方音巡遊の際、八月四個十和田湖に行 啓あら゛られ、和井内邸に御少憩の上、親しく孵化場を御見学あらせられたが、翁は御 案内申上げて有難き御諚を承り、特に羽織地一匹拝領の光栄にあづかった。
 かくて功成り、名遂げたる翁は翌十一年三月春尚寒き北海道に渡って増毛方面の漁業 を視察し、頗る元気に帰ったが、四月上旬風邪がもとで病床につき、医療に手を尽せし も其の甲斐なく終に危篤に陥った。事天聴に達して特に正七位に叙せられ、五月十六日 毛馬内の本邸で没した。
 享年六十五歳、翁の英霊は十和田湖岸に髪として祭られ、爾来同社の例祭を五月三日、 九月十六日とされてゐる。
 翁は生前酒も煙草も嗜まず、特にあぐべき趣味はなかったが、極めて几帳面な性格で、 一糸の乱れも正さゞれば気のすまぬ人であった。こはその一端に過ぎない。
 其の全貌は翁が自ら実行した上、子孫の為に書き残した左の家訓十箇条によって窺知 し得べく、極めて道徳心堅固な修養家であったことがわかる。
 
一、公益を旨とし、陰徳を重んずべし。
二、質素倹約を守るべし。
三、忍耐と根気は成功の基なり。
四、信用は最大の資本なり。
五、仇は恩をもって報ゆべし。
六、己を正しくし、人を疑ふこと勿れ。
七、人に欺かるツとも、人を欺くこと勿れ。
八、禍福は皆我行より来ることを知るべし。
九、一家協力して事業に従事すべし。
十、全家の和合は財宝よりも尊し。

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