鹿友会誌(抄) 「第四十一冊」 |
△五十周年の回顧録 ○既往を追懐して郷土青年に檄す 前段に国家の盛衰を青年の気力に就て述べたが、尚曾て華やかなりし西班牙・和蘭が衰亡の一途 を辿る現況や、世界大戦之後再起不可能と呼ばれたる独逸が駿々として勃興とつゝある現況、 特に近時、支那青年覚醒の現状等に就き、具体的に説明したいが、紙数の制限で省略する。 之を要するに皇国の将来は、否が応でも今日の青年が負担せねばならぬ事、而して之が為には、 剛健なる国民精神の涵養振作の喫緊なる所以を説いたのであるが、尚最後に一言したき事は、 曾て吾人の経験したる既往及現在に於ける皇国四囲の状勢に比し、将来の皇国は更に幾層倍かの 難関に遭遇すると云ふ見通しである。何となれば、日本がまだ幼弱なる明治時代に於ては、 列国は之を見るに「可憐なる小児よ」位の程度で同情もあり、助力も惜しまなかった。然るに 段々生長して一人前になったのみならず、黄色人種でありながら、堂々列強の班に入り、 而かも武力、殊に商工業に於ては英米を対手として一歩も引けを取らない進歩振りには、彼等は 同情変じて猜忌となり、更に自国繁栄の邪魔物視し、遂に暗黙裡に敵視するやうになったのである。 特に日本の迷惑とする所は、お隣の蘇支両国は、十数年来、親の讐同様に心得、国民教育に 於て、青少年に至るまで排日思想を吹き込み、今や牢として抜き難きものがある。加之ならず 国際信義を顧みず、条約蹂躙の如き朝飯前の仕事の様に考へて居る。丁度一流良家たる日本は、 両隣に無頼漢を住まして居る様なもので、いつ何時、無理難題を持ち込むやも計り知れない。 現今の日支事変は、其片鱗の現れで、暴慢無礼に対する膺懲であるのである。此事変は、如何に 始末せらるゝやは不明なるも、予期の目的を達し、東洋安定勢力の実を挙げ得たとして、外列国の 嫉視は益々激しかるべし、一時屈服した支那も、長年月の排日抗日教育の結果、特に覚醒せる 支那青年の意気は、必ずや再挙復讐を企図すべきは、火を睹るよりも明かである。 斯く観し来れば、皇国の将来は難関又難関、波瀾重畳の状態を予期せねばならぬ、即ち今日の青年は、 吾人の青年当時に比し、其覚悟に於て、其努力に於て、更に幾層倍かを加重せねばならぬ、 是れ即ち予が禿筆を揮ふて絶叫する所以である。 覚め!青年 奮へ!青年 (終) |