鹿友会誌(抄)
「第四十一冊」
 
△五十周年の回顧録
○昔語り   大里武八郎
 鹿友会も五十の齢を重ねましたかね。さうでせう、私が郷關を出てから今年の九月で 満五十になりますが、其の前の年に創立せられましたからね。数年前、鹿角時報に私の事 に付いて、何か報道のありました時……此の武八郎といふ人は、お医者の周藏の兄だと 註釈付のあるのを見て、おやおや我輩はそんなに郷里の人から忘れられて仕舞ったのかと、 聊か哀愁を覚えたことがありましたが、考へて見れば、御尤なことだと思ひました。
 
 五十年といへば、代が替ってますものね、未だ東京に居る頃は、年々郷里へ帰って、 途中で余所の小供さんに遇っても、大抵其の人相で、此人は何処のお子さんだと見当が 付いたものですが、此頃では偶に帰って見ても、一向見当が付かなくなりました。 忘れられるのは、当然のことです。東京を去ってからでも、最う三十年になりますから、 在郷の鹿友会員も大部分は知らない御方です。名簿を見ても、写真を眺めても、何処の御方か、どちらの お子様か、お孫様か、これも更に見当が付かなくなりました。そちらでも定めし、そんな会員が あったかなあ、そんな人が未だ生きてるのかなあと思はれる人が多いでせう。愈以て影が 薄くなるから、創立五十年の御祝も勿論だが、一つは自己の存在を明にする必要からも、 何か書かなきゃなるまいと、大急で筆を執りました。
 
 昨年、小田島幹事さんから、五十年記念号には、鹿友会を時代別にして、それぞれ執筆者を 定めたから、お前は何やら時代を書けと御註文がありましたが、其内、時局の為に延期 になったと云ふ御通知がありましたので、やれやれと一安心して、遂い其の註文書を何処かへ 紛れ込まして仕舞ひましたので、今更御問合せの時日もありませんから、多少は他の御方と 重複する所があるかも知りませんが、記憶に存する概略を述べさして頂きます。紙価の 高い時節に、甚だ不経済なことをすると御叱があるかも知れませんが、已むを得ません、 御小言は甘受致します。

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