鹿友会誌(抄)
「第四十一冊」
 
△五十周年の回顧録
○既往を追懐して郷土青年に檄す
 回顧すれば明治二十七年、日清戦争始の当時、予は十六才、日支事変勃発の今年は五十九才に 達し、此四十余年の間に於ける日本の勃興は、実に素晴らしいもので、旭日昇天の勢にも比すべく、 世界歴史に未曾有の現象である。先づ国家の地位より見れば、日清戦争当時、欧米の一般人は 日本(ジャパン)を知らないもの多く、蘭領印度の爪哇(ジャワ)と誤認せるもの少くない。
 
 日露開戦となるや、賭事を好む欧米人は其勝敗に就て、日本に賭ける者は皆無と云ふ有様で、 強大の露に対し、弱小日本の必敗を予期したものである。然るに其結果は連戦連勝、見事に終局の 捷を制し、国威四海に宣揚せられ、国運隆々たる有様で、世界大戦の頃には五大強国、三大海軍国 の列に入り、東海弧立の島帝国が、一躍して世界の檜舞台に上る様になったのである。
 
 又国運進展の基礎である人口は三千余万より、今や九千余万に達し、将に一億を突破せんとする 勢を示し、又教育、殊に国民教育の施設、及成果は世界無類の典型となり、其他文明の諸施設は、 今や欧米模倣の域を脱し、商工業の発達進歩の如き、実に眼醒ましきものあり、其の輸出品に対しては、 欧米諸国は到底太刀打出来ずして、門戸を閉鎖して、辛じて小康を保ち居る状態である。
 
 尚ほ又国家の財政経済力に於ても、日清役に於て戦費二億、日露役には十七億余に過ぎざりしも、 共に国力に於て調達し得ずして、外国債を起して辛じて賄ひ得たものが、今回事変に於ては、廿数億 が議会を通過し、尚ほ増加の必要ある場合に於ても、外国の力に頼る事なく、国内に於て調達し得る 見込は充分である。
 
 以上四十余年間に於ける国運の進展振りは、何と凄いものではないか、是れ固より、明治大帝が 皇政復古、一君万民の鴻基を奠め賜ひ、而して又歴代御聖徳の御蔭なるは勿論だが、又一面には国民が 聖慮を体し、奨順の為奮励大に勉めた結果とも見る事が出来る(歴代主要聖勅一読を乞ふ)、 即ち此四十余年の間に於ける日本の隆々たる勃興は、上に聖天子を戴き、補弼相将、其人を得、 而して万民之に和したる結果であるのである。更に語を換へて云ふならば、一君は姑く措き、 万民の中にては日清戦役後迄は、吾人の先輩が日本を脊負ふて立ち、其後今日迄は実に我々が 脊負ふて立ったのである。之れは間違ひなき事実である。而して今日補弼の地位にある相将は、 我々と仝年輩乃至は後輩であって、幾人かの同僚又は知人が居て、大に活動してゐる。

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