鹿友会誌(抄)
「第三十冊」
 
△想起す故人十三氏
阿部守己氏
 凡そ人は世間の思惑などに左顧右眄せず、自己の特長に生きるべく、勇往邁進するのは、 天意に一致し、使命に適合する所以であると思ふ。火つけ、強盗、殺人、詐欺といふ、神人 共に許さぬ特長の発揮はとんでもないことであるが、職業として人の認むるものであったならば、 如何なる職業学問でも俯仰天地に愧づる所ないでないか。迷ふのは悪い、頓着す のは狭い、 特長に猪突猛進すべきである。若い時は、之は却々出来ない。我阿部氏をして、其の天才に 向って猛進せしめたならば、氏は一代の日本雅楽のオーソリティーとして、日本雅楽史の一頁に 其名を永久に留めたであらう。西洋楽の跳梁を制し、退廃、地に墜ちんとする日本古雅楽中興の 祖として、九鼎大呂の重きをなし得たりしならんに、精進を斯道になし得ざりしものは、寔に 残念であった。
 "アノ声で蜥トカゲ食ふかや杜鵑" 氏はアノ風采で、琴をボロンボロン、変な舞衣を着て舞ふと 品もよかった。
 
 当時、鹿角より笈を東部に負ふ書生は、楽学生派は大里氏の傘下に集まり、苦学生派は阿部氏の 配下に群がったものである。氏は人を世話するに、己を棄つるを辞せずといふ人で、親分的の 気分の多い男であった。逸事も相当に多いが、他日に譲りませう。

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