鹿友会誌(抄)
「第三十冊」
 
△想起す故人十三氏
櫻田英吉氏
 氏は常に曰ふ、"俺は軍人として生れて来た。不幸軍人として立つ能はんば飯を食ふ職は、労働者 より外なし。会社銀行員は、資本家の金の番人でないか。官吏教員、噫悒欝として聞いた ばかりでも沢山だ。" 以て其の為人は知られます。
 氏の中央幼年校入学の時は、奠都祭の翌日であった。僕に製図器械を持参せよとの通信に、 態々本妙寺の寓に訪ふと、酒を飲んで泥酔し、乱舞放歌して、明日は連戦連敗の受験資格も 此度限りといふ。大事の受験場に莅む人とも思はれぬ。曰く、過ぎたるは及ばざる如し。陸中位 の試験は今の僕の学力で十分だ云々。遂に其の時、中位以上にて合格したのであった。
 
 黒溝台の激戦、一弾飛来して、氏の左脚を鼠蹊部より拉し去り、傷口より腸を露出したのを莞爾 として倒れつゝ、手にて押込み、五分にして芳魂、此の世を去った。今日生存しあらんには、 石川少将に次ぎで、鬼櫻田大佐とでも呼ばれ、異采を発揮して居たであらうに。

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