鹿友会誌(抄)
「第三十冊」
 
△東北研究の意義
 地方研究の興味は、「家ファミリィ」「一族」の盛衰にあらうと思ひます。東北にある主なる苗字は、 関東の有力者の苗字であります。佐藤、熊谷、佐々木、千葉、小笠原などといふ苗字の東北に 沢山ありますのは、かういふ苗字を持つ事が経済上非常に有利な時代があったのであります。
 
 仙台領・南部領にある鈴木といふ苗字は、熊野の信仰にくっついてゐるもので、「義経記」は 鈴木、龜井兄弟の華々しい事蹟の、熊野出身者の立場を擁護するために書かれたもので、奥浄瑠璃は、 その宣伝のやうなものであり、又新移住者鈴木一族の淋しさを慰めるために、又社会上の位置を 擁護するために、雪の冬を語りつゞけられたものであります。察するに、何か新しい宗教上の力を 利用して東北に入った団体は、従来の東北人より有力だったので、自然、鈴木といふ一族の名が 重ぜられたのであります。佐藤にしろ、佐々木にしろ、東北の家筋では、家の尊さを証明するために、 別に又さういふ宗教上の背景をもつ必要があったのであります。
 
 東北では金持にしろ、実業家、学者・政治家にしろ、一部分の人間は、決して平均より劣ってゐないが、 その下のレベルは低く、上の方の層があがっても、下の方の層がそれにくっついてあがる、といふ事が ない。そこは、東北の弱点であらうと思ふ。「カマドをかへす」といふことも、東北でなければ、 本当の意味が判らない。
 
 東北には、一地方一村に社会の層が出来てゐるばかりでなく、距離に於ても層がある。何時でも皆が 中央に面して対立し、自分たちは各地離ればなれになって、一緒にならない。それで、どれだけの 程度に文化が、奥羽全体を通じて共通であり、どれだけが、鹿角の特色かといふことが、今以て 判らないのであります。即ち地方主義の甚だしい立おくれであります。今後、郷里に対する一番大きな 親切は、もう少し現実を知るといふことであります。
 
 地方主義の条件は、非常に広い範囲に亙る材料の蒐集と、比較とのために協力をすることであります。 東北には、まだ我々の如き外部の研究者を加担せしめる必要があります。地方主義は、割拠主義ではない。 援け合はねばならぬ。他所の人間をもつけ加へてゆかねばならない。 (佐々木彦一郎記)

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