鹿友会誌(抄)
「第三十冊」
 
△東北研究の意義
 この各地の差別に深い意義を認めるのが、吾々の研究の主要なる計画でありますが、この研究は、 中央の学者だけにまかせてはならぬものがあります。地方生活の研究は、何うしても或地形条件 の下に区画して、受持区域を決めてかゝらねばならない。これが自分たちの東北研究の共同を すゝめた動機であります。
 
 而も地方によって、その必要度がちがふのであって、中央から遠ざかるに従ってその必要度が増すかと 思ふのであります。といふわけは、昔は文字の教育は中央に限られ、たまに地方に本を書く人 があっても、読む人がないので、書くならば全国的な学問、例へば経書の講釈とか、俳句の議論 とかいふ様なものに就いてのみ書いたのであります。
 それであるから、もし地方の事を知るのに、必ず書物の資料に依るとすれば、東北地方などは 学問が永く成立し得ないのであります。東北地方に於いて記録といへば、徳川時代初期のものが 最も古く、今日、社寺に残ってゐるものとか、二三の旧家の軍忠状由緒書などがあるばかり、 金石文の類も、新しい僅かなものに過ぎないのであります。
 一方に於て土中の発掘物、住所の跡などは随分古い所のものがあります。即ち非常に古い時代と、 新しいところとの中間が空になって居るのであります。それで何うしても書物以外の材料の出来る だけ豊富な部分を精確に蒐集し、之を整理して、記録史料の補欠にかゝらねばなりません。
 
 今日の歴史家の一派では、固有名詞と年代がはっきり判って、初めて歴史だと言ふ考が強いが、 それは史料編纂事業の強い感化であります。吾々の知りたいと思ふ所は、此派の人の知りたい所と は違ひます。私共は久しい間、歴史として取扱はれなかった平民の歴史を知りたいと思ふ のであります。

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