鹿友会誌(抄)
「第三十冊」
 
△東北研究の意義   柳田國男
(昭和二年十一月二日夜、東京朝日新聞社に於ける鹿友会秋季例会席上講演)
 
 私どもの僅かな団体では、今日、地方主義といふ言葉を使って居ります。地方主義といふ 言葉は、外にも使って居る人達がありますが、自分らの使ふ意味とは大へん違ふ意味で 使って居るのです。吾々の考へでは、日本を研究する場合に、此全国をいくつにも切って、 一つ一つ手分けをして研究しなければならないと思ふのであります。然らばどう区分するかと 言ふならば、各人が最も親しく思ふ郷里を区域とするがよいといふのであります。この方法は どこの国でも新しい学問であります。フランスの所謂レジョナリスムスは、その中では 比較的早く開けた方ですが、まだ成長最中であります。
 
 日本などはこの学問の研究は、殊に必要な国であります。緯度から申しましても、寒帯近く から熱帯に亘り、地形から言っても、学問で集め得るすべての地形をもって居ります。 而かも狭い国土には溢るゝばかりの人間が住んで居るので、砂浜の上にも、高原の上にも、 又火山灰の上にも、あらゆる地形に、あらゆる土着方法をとらねばならぬ日本なのであります。 即ち日本位、我々の地方主義の必要な国はないのであります。而もそれに対して、今日迄 人が非常に冷淡で、殊に地方を離ればなれに見ることは、悪い事でもあるかの様に考へてゐる 者もあります。そしてこの複雑な各地方を、唯都会と田舎と二つに分けて、田舎をば、たゞ 一つの田舎といふ概念の中に、纏めて考へて居ります。
 
 「人國記」といふ足利時代に出来たと言はれる本などは、外見上、地方主義の研究の やうですが、やはり「奥州は人の心斯々」「出羽は任の心斯々」と、奥州とか出羽とかいふ 広い国に住んでゐる百姓も猟師も漁夫も、みんな一つ一つにして、僅か二十行か三十行で 評してゐます。これなども、吾々のやの方からは、許すことが出来ないのであります。
 
 自分の地方と、他の地方が、どうちがってゐるといふこと、これを広い意味の社会史、 人文地理の目的を以て研究したいのが、吾々の学問なのであります。実際問題として、 新聞は之に対して、まことに同情がないのでありまして、こんなに豊富な通信機関を持って 居りながら、三分の二又は四分の三を占めてゐる地方の読者が、自分の地方以外の地方の ことを知ろうとしないため、読者本意の新聞紙は、地方版には他地方の事をのせず、秋田県 で得た材料は、秋田県でしか利用していないのであります。
 
 是に基いたもっと大きな間違ひは、全国の地方が、各みな同一の状態にあるといふ予断で あります。それで、異同比較の必要がないと考へるのであります。話し合って見れば、すぐ 其誤りはわかるのです。例へば盆踊りにいたしましても、盆踊りには輪になって踊るのもあり、 棒になって踊るのもあり、唄にも都々逸よりも更に短いのもあれば、クドキの様に長々しい のもあり、又笛太鼓三味線で賑はしくやるのもあれば、楽器なしに扇一つ、又は平拍子のみで やるのと、種々雑多ありますのに、盆踊りはみな同じ様だといふ様に、互ひに、よそも知らずに 盆踊りは面白いなどといふ様なことを言って居ります。

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