鹿友会誌(抄)
「第二十七冊」
 
△『石田の大叔父さんを』憶ふ
 若葉が思ひ切ってのび拡がり、太陽がギラギラ輝いてくる頃になると、一昨年の「北海道旅行」の ことが思ひ出される。
 ばん巒峰互に渓谷に迫り、北海の濃緑は今を盛りと輝やく定山渓温泉へ、いとこの中島春さんと訪ねた のであったが、数丁を隔てたホテルの籐椅子に、深く腰を落して、附近の景をめでゝゐる老人の姿が、 私の心にある奈良家の型タイプそっくりなので、「キットをぢさんです」といって、春さんを促した のであったが、あとでそのことを申したら、「勝(春さんの母上、川村のをばのこと)によく似た 美人が来たなァ』と思って見てゐた、と哄笑されたのであった。
 その晩、同じ室に二人やすんで、いろいろとお話を承はったが、朝になって、目をあいて、寝たまゝ 「お早う厶います」をやると、静かに体操をやってをられた「をぢさん」は、 『おゝ、やかましくなかったか、お前が目をさましては、と思って八釜敷くない方からやってゐるところだ』 といって下さったので、恐縮して、早速浴場へ出かけてしまった。
 
 朝来、あまり良い天気ではなかったが、定山渓へ来て、「北耶馬」へ行かないとなんにもなりません と主張すると、「では案内するか」といはれて、仕度をはじめられたが、木綿の黒足袋を出して、 「なぜはくかわかるか」といはれらから、わかりませんと、いふと、「下駄で足をするからさ」といはれた。
 宿の番傘をかりて、尻をはし折って、一里の上流をさして、出かけた。
 開墾されたばかりの畑、六尺豊かな「さしどり」、緑の葉と真白な幹の美しい白樺林、などの間を辿り、 煙雨の中にジージー啼く蝉の他には何もないところをどんどん進んで行った。
 その間に、いろいろに話をして下さって、私としては、誰からも聞くことの出来なかった家のことや、 又「をぢさん」の鹿角人観などを、具体的におきゝしたのである。
 やがて、渓流の音が耳にひゞいて来た、物凄い大木の並んでゐる御料林の間をぬけて、桟道をすぎ、 岩伝ひに歩んで行くと、木の間を通して、眼下十丈のところを、白い水泡が忙しく流れて行くのが見える。
 
 雨はやみさうにもない、一人では気味の悪い程なところを進む、前にスックと奇峰が聳え、 脚下には真黒な岩石の間を激流が岸を搏つのが見えるところになると、しばしば足を止めて、しきりに 感嘆せられてゐる。
 大きな虻や、刺蝿が遠慮なく集ってくるので、わたくしは葉のついた枝を折って、それで熱心に虻を 追ふことにした。
 かうした野趣の中に、讃美の声を惜しまずに、大体を終るや、『自分が今迄見て歩いた中で、一番 良い景勝であると思ふ』と述懐せられたのである。
 
 旅行が何よりの好物であったと共に、その探勝、その鑑賞の眼も亦、玄人であったことを、わたくしは 感心するものゝ一人である。
 札幌では、白石にある賀川さんの、広大な庭園を見せていたゞき、元気なおばあさんの説明と歓待とを 心からうけられたあとで、「鹿角人としては、男にしたい女だ」と言ってをられたやうであった。 が、そのおばあさんは、まだ御元気のことであらふに………。

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