鹿友会誌(抄)
「第二十七冊」
 
△『石田の大叔父さんを』憶ふ   奈良正露
 十五になるまで位牌を持つこと五度、二十になる迄に近親わかるゝこと十五といふ、 まことに不思議な凶縁を与へられてゐる私が、今また、そのもっとも頼りにしてゐる人を、 失はねばならなかった、といふことを、つくづく悲嘆に暮れてゐるものである。
 
 「逢うものは別れなければならない」といふことは、そのまゝ道理であらふ、けれども、 人間の心の中に結ばれてゐる恩愛の情、思慕の心には、そのことがあまりに無理なことで なければならない。
 底ひなき死の悲しみ、そのことは、まことに腸を断つに等しい苦しみである。
 もちろん悲しみの程度は、人によって違ふであらふが、「死の悲哀」はある普遍価を もって、人々に迫ることは争はれないのであらふ。いろいろな憶ひ出が、泉の水のやうに 湧き上ってくる毎に、私の筆は鈍ってしまふ。
 幾度か筆をとり、幾度か筆を擱いて、やうやくその決意を得た程に、私の心はふるえてゐる。

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