鹿友会誌(抄)
「第二十七冊」
 
△一生涯平民の気持で通した人
 伯父は、経験の欠乏によって作られた円満に好人物であったといふことは、返す返す も私の惜しむ所である。それにも拘らず伯父は、そう云った人達の陥り易い偏狭な排他 性から、比較的に免れ得、渾然たる人間性を持ち続けることが出来たといふことは、伯 父の最も優れた素質、即ち純樸な、平民主義のおかげであったといふことを、私は云ひ たい。伯父は、余りに円満な一生を送ったので、まるで世間見ずであったが、その欠点 を補って余りあるものは、伯父のうちくつろいだ平民主義であった。
 
 伯父は金力、地位、学位、総てのものに恵まれた幸運児であったが、その臭味は少し もなかった。伯父は終始一貫、一平民の気持で通した。田舎の土百姓とでもすぐに隔り のない友達になれる人であった。あんなデモクラテックな気分は、貴族や成金階級は勿 論のこと、普通の平民階級にだってない。平民階級には、かへってつまらなぬ事に威張 りたがったり、肩書だの、資格だの、同じ仲間の間でも、地位の上下など気にする人間 が多い位だ。曾て伯父が目黒に住んで居た時分に、私は近所の俥夫に聞いたのだが、『 石田の旦那は気の軽い、いゝ方ですよ』とニコニコ笑ひ乍ら話して居た。彼は、自分と俥 夫との間にある階級的差別などを考へる人ではなかった。
 
 エフ・ヂー・ハマートンが、貴族主義と平民主義といふ文章の中に、
 『自分が高いとか、或は自分が低いとかいふ階級的観念の常に離れない人で、多少な くともその知覚の緻密を害されないで居る人が、一人でもあったか。思ふに偉大な思想 は、たとひそれが是等の階級の中に生れ、そしてその中に育ち育ち、外見上その習慣に 従って居るかも知れぬとしても、心は常にそれ等を離脱して、中立ともいふべきもの達 し、何等色彩のない、純正な、平等な、戸外の日光の様な光明に達するものゝ様に思は れる』といふて居るが、その通りである。
 福澤先生は、伯爵に列せられると聞いて、周章狼狽、各方面に運動して未然に之を防 止した。先生は不覇の人なので、苟くも身を縛るものは何ものでもいやだったらしい。 伯父は境遇に従順であったが、それだけのことで、心は階級の中に角ばりはしなかった 様だ。弱冠ならずして国を出た伯父は、死ぬまで花輪弁を直さなかった。も少し生きて 居て、田舎にでも引こんで、肥たごでもかついだら、丈夫にもなられたらうし、さぞ似 合ったらうと惜しく思ふ。
 
 階級思想に捉はれゝば、人間も人間でなくなる。況んや順調円満の一生を送った人に 於ておや。たとひ相当苦労した人間でも、だんだん立身して来ると、反身になって、 いやに威張りたがるものが多いのには、彼はそういった不純な階級意識から、全然解脱 して居たおかげで、その人間性は、純粋玉の如く、晩年まで持ち続けることの出来たの は、実に嬉しいことであった。あれ程順調に立身して、あれほど辺幅を飾らぬ平民的な 人は珍らしい。今後鹿角郡から、彼以上に立身する人はいくらも出るかも知れないが、 その点に於て彼の如き人格者は滅多に出るとは思はれない。他にどんな長所があらうと も、此の一事に比べれば、殆んど云ふに足らないと私は思って居る。兎に角珍らしく出 来た人間であった。

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