鹿友会誌(抄)
「第二十七冊」
 
△一生涯平民の気持で通した人
 我々の性格は実際、経験の欠乏によって作られて居る。我々は三日も四日も一食もせ ず、進退谷まったといふ様な苦しい経験がないから、泥棒に同情することはとても出来 ない。抑えられぬ屈辱をうけて、怒り心頭に発した経験がないから、殺人罪を犯す様な 人間をば、野獣の様にいやに感ずる、強いあらゆる障害をとびこえる程の情熱の誘惑に 逢ったこともないから、男女関係の常軌を逸した人には、冷やかな眼を向けるのは当然 かも知れぬ。経験に乏しい人の危険は其処にある。 − 自分及び自分等の進んで居る狭い 道のみを正しいとして、又自分の狭い倫理学をのみ正しとして、それから外れた人をば 全然理解せず、卑しみ、憎み、悔る様に傾く。殊にそれが自然的順調でなくて、外界の 圧迫や、不如意の為めに、経験を封ぜられる場合、奥御殿の女中だとか、オールドミス だとかいふ人達が、他のあらゆる人の享受する経験に対して、如何に呪咀の眼を放つか は、実に恐ろしいばかりである。
 
 レ・ミゼラブルのジャン・ヴァル・ジャンは盗みをした。罪と罰のラスコルニコフは人殺 しをした。彼の恋人は淫売婦であった。ボバリー夫人は姦通をして自殺した。我々は涙 を流して之を読むが、これと同じ人が現実にあったら、我々は果して同情が出来るだら うか。尤も日本では、之と反対に、姦通して情死した有島は好きだが、名著『或る女』 は見るもいやだといふ人もあるが、どっちにしても、お坊ちゃんやお嬢さんには、人間 の深さは何も分からないといふことを示すだけだ。

[次へ進んで下さい]