鹿友会誌(抄)
「第二十七冊」
 
△一生涯平民の気持で通した人   柳田九郎
 石田の伯父を紀念する為めに、鹿友会雑誌が臨時号を出して下さるそうで、私にも何 か書けと従兄信一郎から葉書で云ってよこされた。私は鹿友会員ではないが、鹿友会の 御厚意に対しても何か書く義務があると思ったので、僭越乍ら筆を執る気になった。
 
 郷里の人々によって今日迄続けられて来た、この親しみ多い雑誌の上で、伯父の一生 涯が総決算され、赤裸々に後の人の前に示されるといふことは、決して徒らなる企て ゞはあるまい。で、多少なりとも、なるべく卒直に、真に近いことを書いて、その中か ら彼の真面目を明かに浮び出させることが必要であり、殊に骨肉たる我々として、そう するのが郷人に対する礼だと思ふ。伯父の生前のこと、私との永い間の関係、最後に死 ぬ迄の事について、伯父甥の間柄でのいろいろな感想は山程あるが、今それを書く様な気 持にもなれず、又その様な私的関係で紙面を埋めるのもどうかと思ふので、それは止め る。私は少し冷かに伯父の性格に対する観察を書いて見ようと思ふ。
 
 『人の性格は、その経験によって作られるよりも寧ろ、経験の欠乏によって作られる 。自分にマムシの牙があるかないかといふことは、靴で頭を蹴られて見るまでは分から ないものだ』といふた人がある。これはパラドックスと解すべきだが、確かに無限の真 理がある。
 世の中には、幸福な人、円満な人、順調な人と云はれて居る人達があって、そういふ 人達の性格が一番人にも好かれ、楽しそうにも見えるが、そういふ性格は、何等特殊な 経験をも持たずに生きて来た為めに作り上げられる場合が多い。伯父などもそう云った 風な好人物の一人であった。靴が頭を蹴られたことがない為めに、自分の口にマムシの 牙があらうなどとは、夢にも思はずに死んで了ったらしい。それ程に彼は、幸運に恵ま れ、順調に生き、円満に一生を終った人であった。
 
 経験によって作られた性格をこそ、我々は大にもせよ小にもせよ、一つの性格として 見ようといふ気があるが、経験の欠乏によって作られた性格は、さて何と云ふべきであ らうか。一般の人達が伯父をよい人だといふのは、組し易い人だといふ事の云ひ変へで 、実際僕でも、伯父の気を迎へて、感心な男になりすまし、伯父をだますことは朝飯前 に出来ると思った。伯父がよい人であった、円満な人であったといふに、ほめて下さる 人があるかも知れぬが、そういふことは讃辞とはならない。伯父は幸福な人であった、 順調な人であったと云って頂けば十分である。

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