鹿友会誌(抄) 「第二十四冊」 |
△亡友追悼録「根本五郎翁」 ○長内の根本五郎翁 江戸では、当時全盛であった千葉周作先生や、桃井苦峡先生達の試合も時々見たとい ひます。天野先生はキット「根本」といって伴に連れられたさうです。 先年、富四郎さんが「青年の鹿角」へ書かれましたが、あの陣幕と鬼面山の話は、此 の時代の記念みたいな話でせう。 ネバリ強い鬼面山に対した、男らしい陣幕が、悠容迫らぬ堂々たる角力振りをしたの は、血気に燃える根本五郎元茂の心の奥底から気に入ったと見えまして、肩を怒らして みてゐた同輩四人と共に、一分銀を一枚宛出し合って、紙へねぢって「陣幕ッ」といふ 声と共に、桟敷から花を投げるまでの表現をさしたわけです。 桝の様な煙草箱へキセルをのっかけて、陣幕の構をしてゐたおぢいさんが、軈て花を 投げる桟敷の五郎となり、次は天野の書生さんへお礼にやって来る陣幕になって、「エ ヽさき程はどうも有難う厶んした、……エヽあの角力はワッチのもんでごわせうが…… 」といって帰る段になると一段落になるのですが、其の態度といひ、話といひ、真正のもの を握った人でなければ覗はれない熱と、情緒とをもってゐるものでありまして、十八番 ものとも言ふべきものでした。そして角力の話が出ると、毎度きかされる話であって、 聴くときはまた、いつも心を惹かれる話の様でした。 私などはその話が懐かしいので、トンデもないところから、話柄を見つけて手操り出 したもので厶います。 この話は、興三さんのお父さん方の頃から、私共の間に於いて、可成頻繁におぢいさん の口を突いた話で有名な様です。ですからおぢいさんを知る方は、「陣幕と鬼面山」と 言へば、懐古の情に堪へないことだらうと思ひます。 |