鹿友会誌(抄)
「第二十四冊」
 
△亡友追悼録「根本五郎翁」
○弔詞   曙村長 渡部繁雄
 本日根本五郎翁の御葬儀に会し、私は曙村を代表し、弔詞を呈するので御座います 。
 貴下は、御自慢の立派な体格に、非常な御健康の方でしたから、今度の御病気にも 御老年とは言へ、必ず御快癒なさるゝことゝ信じました処、斯く急変せられたことは誠 に哀しい次第で御座います。
 
 貴下は、県会議員や畜産議員、又は郡会議員として県郡の為めに、大いに貢献せられ たことは普く人の知る所、今私の申上げるまでもない所でございますが、此村のためには 、村長として村会議員として、又学務委員として、将た個人として、直接間接終始一貫 、御尽し下されたことは、村民一同ひとしく衷心より感謝してゐる所で御座います。
 
 貴下は戸長時代は更なり、町村制実施に当り、新に曙村なる名称のできた最初の村長 として、此の村の基礎を築かれた方であります。又第二次、第三次時代に於ては、国有 林の払下や荒蕪地の特買を受け、尚、大正二年の大凶作には適当の救済策を施されまし た。今や松ケ澤・下モ平の植林地は青々と緑濃き林相を見るに到り、大川原の田地は耕地 整理完了し、整然たる田区に秋の収穫の豊さに稲穂が揃って見られまして、基本財産と して将来此村に益すること、大なるもので御座います。又凶作より生れ出た信用組合も 漸次発達して、村民の金融機関、経済の中心たらんとして居ります。数へ来れば数限り なく、皆是れ貴下の計画された残された功績で御座います。
 
 貴下は資性活淡、私利私欲を離れ事に処し、謹直一徹、胸襟を披いて人に接し、恩情 溢るゝ親しみ厚い方で、又飾り気なき恰かも古武士の面影がありました。
 晩年閑地に就かるゝや、御好みの養鶏をなさるゝ傍ら、古書古器物の蒐集に楽まれ、 往時鍛錬せられたる攫鑠たる元気を以て悠々自適、村の元老として陰に陽に、村の為め に御尽力御心配下されましたのに、今や幽冥境を異にし、再び温顔に接するを得ないの は、誠に哀しい極みで御座います。
 然し皆是れ天命であります。どうぞ安らかにお休み下さい。
 
 御別れに臨み、厚く厚く感謝の意を表し、御冥福を祈りて弔詞と致します。
  大正十一年八月十五日
 右は根本五郎翁御葬儀に際して、曙村長渡部繁雄氏の呈せられたる弔詞なり。翁の平 素をうつし余すところなきを覚ゆれば、是を禄す。

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