鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「立山林平君」
○故立山君に就て   東京 青山芳得
 日露戦役後、海事思想の高潮に達せし時と記臆す。一通の書状が吾等の許に届いた。 差出人は「立山林平」として当時吾等未見の人であった。書面の内容は、海軍兵学校に 入学志望であるから、吾等を保証人に頼むとのことである。吾等も頗る其熱誠に動かさ れたが、血気に早る青年輩が父兄の承諾を得ずに兵籍(海軍兵学校に入校せば兵籍に入 る)に入り、後に取返しの付かぬ事になった例があるから、念の為め令兄弟四郎君に問 合せしに、果して父兄の意思にあらざることが分り、林平君の海軍志望は遂げられなか ったが、君の中学時代同期の親友佐藤慶藏君は、殆んど同時に吾等の後継者として海軍 々人となった事は、奇しき縁とは云はざるを得ない。
 吾等は一度君に遇ふて此事を昔話にしたいと思ふて居たが、海と陸、東と西と言った 様に何時もかけはなれ、遂に其機を得ず。爾来春風秋雨茲に十有余年、未見の知己林平 君は、永久に未見の人となった。

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