鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「立山林平君」
○天才立山林平さん
二、林平さんは多趣味
 中学時代の林平さんは、全く能く遊び能く学んだ。当時、大館中学のテニスコートに 林平さんの姿を見ない日は殆どなかった。嘗て大中対弘中に庭球競技に、故高橋志郎君 と林平さんの一組は、敵の六組を続けざまに打ち破り、庭球界のレコードとして其名を 走らせたものだ。寄宿舎のカルタ会にも林平さんは、選手であった。
 其他将棋、囲碁等は、中学時代から秀逸なものであった。高等学校時代は、柔道をも やった。大学に入ってからは琴、尺八等に興味を有し、琴の教師を郷里毛馬内へ招聘し て、乙女子に授けしめ、尺八は学生共に推奨し、僕等は帰郷中、よく教はりに行った。 特に教師に就て、小笠原流作法を習ひ、或は生花の練習に興を感ずるなど、其趣味の多 方面なことは、実に珍しいくらゐである。而かも其為すこと習ふことの大概は、普通以 上の巧妙な処があって、凡てに上達してあった。為ることの凡てに優秀なり得る才能の みを天才といふてふ学説に依るも、林平さんは確に天才の名誉を担ふべき人であった。
 
 林平さんは、達磨さんに興味を持ち初めたのは、何時頃からかは判然せぬが、帝大卒 業近くには、確かに達磨さんの趣味があった。達磨さんの生ひ立ちに通じ、達磨さんの 風刺を喜んで居た。熊本の住宅には、玄関座敷に一幅の達磨さんの軸が、其来客を接待 したそうだ。達磨さんに趣味を有する点に於て、能く僕と一致して居る。林平さんが三 崎方面へ転地中、僕は起き揚りの達磨さんを見舞いとして贈ったことがある。

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