鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「立山林平君」
○三、林平さんは余興係長
 林平さんが、同窓会幹事に推薦せられて、その敏腕を振はれたのは、中学一、二年級 の頃から、理学士になる迄で、十余捻の長きに渡って居る。而かも其多くの場合、余興 係長として現はれた。多くの男女卒業生の余興当番、或は志願者を能く統率し、余興の 内容を一々検閲して、世人の誤解や非難なからしめ、毛馬内同窓会の余興を 指導したる功は大なるものである。
 某校長は、男女同時会合の弊を説き、余興の害を挙げたる時の如き、林平さんは率先 して之に反旗を翻し、僕等数人と共に此の消極的社会教育法を排して、積極的社会教育 法を叫び、僅か一ケ年にして反対派を沈黙せしめ、廃れたる同窓会を再興し、善導する に至った。林平さんは、親ら旅び僧侶に扮し、同窓会の舞台に現はれ、得意の尺八を吹 奏したのは、帝大在学中であった。理学士、高等学校教授の肩書が就いてからは、会の 方で敬意を表する意味で余興係を止めたが、係員は総裁の名を冠して時折其高見を徴し たものである。

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