鹿友会誌(抄)
「第十九冊」
 
△故高橋志郎君と僕
二、高医時代
 君の大中を卒業して上京したるは三十九年の四月で、既に僕は前年高商受験戦に敗 軍の結果、三田丘上の貧生となって居った時である。
 君が旅の淋しさを感じたる時、学業に疲労を覚えたる時、時折僕等が自炊団たる麻布 組に来訪せられたのである、君は当時、茲に明言を憚る或る事件のために非常なる心痛 をして居った、されど君は総ての煩脳と総ての苦痛に屈服せずに、素志の貫徹に務めて あった。
 
 未だ君が高医に入学せざる前、東京に入学試験の準備中であった、僕は不足せる学資 を得んため、午前三時より私立麻布学舘の教鞭をとって居った。為めに試験時期となる も勉強時間を有しなかった、之れと見たる君は、恰も君が比較的閑散の地位にあるを幸 とし、約一習慣の長時、僕に代って麻布学舘の教壇の人となり、御蔭様で僕は予科を修 了することを得たのです。僕は当時を懐想すると特に君に対する感謝の念は湧出するの である、一時は万事である、此一時を見ても君が如何に友情に厚かったかといふことは 判明するのであります。
 
 君が大阪に遊学せられて後は、休暇休暇の面談と、手紙の往復のみに依って、旧来の 親しみを継続してあった、君が手紙を書かぬ事を以て知られた人である、若し書きたる とするも真の用件を以て終る人であった、淡泊なる性格はかゝる点にも現はれて居る。

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